Maidens' night


 ばふっ、という音を立てて、華奈が柔らかい布団の敷かれたベッドへと沈み込む。
「疲労困憊ー……」
 そう呟いた彼女は、大きめの枕を抱き寄せてベッドの上で猫のように丸まった。
「ほら、ハルちゃん。ドライヤーとか無いんだから、ちゃんと髪を拭いておかないと風邪ひくよ?」
「はーい」
 華奈は元々ドライヤーは使わない派だったが、隣のベッドに座った深冬が差し出してきたタオルを素直に受け取り、起き上がって頭を拭き始める。
 2人のやり取りを、一番奥のベッドの上に座った環はいつもの穏やかな表情で見ていた。
 長く、長かった一日は、もうじき終わりを迎えようとしている。
 明日の見世物の為の練習を終えて宿へと戻ってきた彼女達は、入浴を済ませてあとはもう眠るだけとなっていた。
 言葉では言い表せないほどに、濃密な一日であったと思う。
 突然奇妙な光に取り囲まれて。
 目が覚めたら、見知らぬ男達がいて。
 精霊に会って。
 別な世界に飛ばされたなどというふざけた事実を突きつけられて。
 更にふざけたことに、友人達が“魔族”とかいう敵に拉致されて。
 世界などという大層なものを救う為に、半ば脅迫される形で旅に出ることになって。
 ……いっそ夢であればいいと、未だ、心の何処かで思わずにはいられない。
 ラーメンの食べすぎで見た夢や幻覚の類であるのなら、唯我独尊の親父さんに冗談めいた文句を一言言うだけで事足りるのに。
 だが頬をつねれば痛いし、環が鈍器をぶん回した時や深冬が飛び道具をチョイスしてしまった時の恐怖もリアルだし……己の内側から感じる力も、確かなものだ。
 何が待ち受けているか不明な今日からの出来事は、もはや現実として受け入れてしまうしか方法が無い。

「何ていうか濃ゆい一日だったよね……」
 タオルを頭に被ったまま、華奈はため息と共に言葉を吐き出した。
 全く同感である深冬と環は思わず苦笑を浮かべる。
「でもほらっ、皆良い人で良かったよね、あっちの人」
「……まぁねぇ」
 一応、深冬の言葉に同意は示してみるものの、華奈としては何だか逐一突っ掛かってくる奴が若干一名いるので力強く肯定することは出来ない。
 そんな華奈を見て、環は何やら微笑ましそうな表情を浮かべた。
「皆、格好良いしね?」
「うーわー、タマちゃんがアヤちゃんみたいなこと言ってるー」
「あはは。彩瀬ちゃんがこっちにいたら、凄いテンションで喜んでいそうだよね」
 全くだ、と、華奈と環は真顔で頷く。
 不安を払拭する為か否か。
 それをきっかけにして、彼女達の“ザ・大予想大会 〜拉致組の現状について〜”が幕を開けた。

「捕まると言えばやっぱり牢獄かなぁ」
「うーん、意外とお城の塔のてっぺんに幽閉とか」
「お城なら、結構豪華な部屋かも知れないね」
「どっちにしろ、タカとかマナちゃんとかが暴れてそうだ」
 華奈は肉体的に暴れる弥鷹と暴言的に暴れる愛花を思い浮かべる。
 共に想像して笑いながら、そういえば、と、深冬が続けた。
「フラットさん達の探してる人っていうのには会ったのかな」
「一緒の場所に捕まってるっぽいことは奴らが言ってたけどねぇ」
「どうだろうね。でも、異質なものとして捕まった、って言っていたから、もしかしたら案外近い場所にいるか、仲間かどうかの確認のために会わせられたりはしているかも知れないね」
 なるほど。
 華奈と深冬はうんうんと首を縦に振った。
 空間を越えるということは思わず敵さんが拉致ってしまう程には異質なことであるらしいし、自分達第一世界の人間が空間を越えることが殆ど無い以上、第二世界の騎士達の、拉致されている人物の仲間であると判断される可能性が高い。
 彼らは第三世界へ世界へ自ら来た的なことを言っていたし、尚更だ。
 ということは、一緒の牢屋なり部屋なりに捕まっている可能性もあるということになる。
「親衛隊が動くくらいの人だから……王子とかかな」
 深冬がぽつりと言った。
 うーん、と、華奈と環は少し考えてから答える。
「姫……いや、王子だな」
「王子だね」
 何故か王子なことは乙女の勘により決定事項のようだ。
 うんうんと全員が頷く。
「きっと美形だろうね」
 これにも全員が頷いた。
 あの三人の知り合いであるし、何より彼女達の中では王子が美形でない筈が無いということも決定事項らしい。
 そして美形であり、同じ場所にとっ捕まっているとすれば。
「アヤちゃん……」
 言わずもがな。
 目をハート型にせんばかりの勢いでふにゃふにゃでれでれしまくって弥鷹と愛花と茅斗に呆れられる綾瀬の姿が、三人の脳裏に瞬時に浮かんだ。
 いつでもどこでも、そう、例え大会の本番直前だろうが拉致されていようが美しい男子を愛でずにはいられないのが綾瀬である。
 その姿を想像することは、華奈達の気持ちを和ませてくれた。
 弥鷹達の心も、同じように和ませてくれているに違いない。
 それから。
「きっと茅斗先輩は不幸な目に遭ってるよね」
 華奈が言うと、全員が同時に噴き出した。
 自動ドアが作動せずドアに突っ込んだり、RPGゲームのセーブポイント直前で停電になって数時間分のデータが飛んだり、サックスのリードを調整していて立て続けに新品を三枚ほど割ったり、etc...
 ともかくどんな環境であろうと不幸体質を遺憾なく発揮するのが茅斗だった。
「折角格好良いのにねぇ、茅斗先輩」
「最初は茅斗先輩目当てで入ったアヤちゃんが引くほどの不幸体質だもんなぁ」
「あら、そうだったの」
「タマちゃん知らなかったっけ。部活紹介のときに惚れたらしくあたし達に騒ぎまくって部活即決したはいいがその不幸体質っぷりに十日ほどで冷めたという伝説を……」
「十日なら持ったほうじゃない?」
「環ちゃん……なにげに酷いよ?」
 そうかしら? と、環は微笑む。
 どちらに対しても酷ぇよ、と二人は突っ込みたかったが、心中のみに留めた。
「まぁでもアヤちゃん、顔に比例する良質な中身を望み過ぎるからなぁ。茅斗先輩そんな悪くないのにね」
「あら、じゃあ、はるちゃんは青木君がいいの?」
「いや、申し訳ないけどそれは無い」
 きっぱりと真顔で華奈は言い切る。
「あはは、ハルちゃんはタカ君がいるもんねぇ」
「は? 何でタカ? あいつはそういうのとは違うでしょ」
 続けてきっぱりと華奈は言い切った。
 華奈と弥鷹。
 息の合い過ぎるこの地元最強コンビを恋人視する者は少なくない。
 それに華奈に気が無くとも、弥鷹の方にはあることは仲間の目から見て明らかであるというのに……
 タカ君かわいそうに……と、深冬は心の中で合掌してみる。
「じゃあハルちゃんはどういうのがいいの?」
「どういうのもこういうのも……色事には興味ないからなぁ」
 何とも漢らしい返答だった。
 尤も、付き合いの長い深冬と環には判りきった返答でもあったが。
 それでも、ハルちゃん可愛いんだからもうちょっと色っぽい話があってもさ……と、多少がっかりしてしまうのは乙女として仕方のないお話だ。
 こういう色々と自覚の無い子には強引にでもはっきりきっぱりと気持ちをぶつけてきてくれる存在が必要だと、何だか保護者気分で深冬は思う。
 そこでふと、深冬は今日出会った黒い人を思い浮かべてみるが、それに該当するかは微妙な線なので深く考えるのを止めた。
「興味ないといえば、まなちゃんもそうだよね」
「あー、アヤちゃんの色恋話ほぼ全て切り捨ててるしね」
「でも茅斗先輩のことはよく構うよねぇ」
 あぁあれは、と、深冬の言に華奈と環は言葉を揃える。
「「おもちゃ扱いでしょ」」
 言い切られてしまうあたり、本当に不幸体質な茅斗だった。
 思わず深冬から同情の苦笑いが漏れる。
「で、でも、愛花ちゃんあれで結構告白とかされてるよね」
「でも悉くお断りしているね」
「しかも断り方が……“私、マゾな人は好みじゃありません”」
「何だかそういうのばっかり寄ってくるって言ってたねぇ」
「あら、でも、それらしくない人には普通に“お断りします”って言っているみたいよ?」
「かなり冷淡に言ってるみたいだけどね……」
「うーん、愛花ちゃんとお付き合い出来るとしたらどんな人かなぁ」
「まなちゃんを手玉に取れる多少腹黒い感じの人、とか?」
 乙女三人はそんな人物を想像してみるが。
「無理かもね」
「うん」
「無理だな」
 ……全く想像出来なかった。

 しばしば捕獲された友人達についての好き勝手なお話は続くが、流石に疲れたらしく、三人は各々のベッドへと倒れ込む。
「あはは、疲れたね」
 深冬が言うと、両隣から笑いで返答が返ってくる。
 本当に色々疲れたが、彼女達の顔に現在浮かんでいるのは笑顔だ。
 例え非日常に放り出されたとしても。
 想像すればするほど、捕まった彼らも、自分達も、何も変わらない。
 これからこの世界で何が起ころうと、本質はきっと変わらない。
 そのことが、彼女達を酷く安心させた。
 窓際の環は、カーテンの隙間から第三世界の空を見る。
 浮かぶのは見慣れない並び方をした星々と、煌々と輝く十六夜月。
 自分達の世界とよく似た空。

 今夜は良く眠れそうだった。


<-- contents -->