Knights' night


 ぽたりと、漆黒の髪から雫が零れる。
 風呂上がりの濡れた髪のままで椅子に腰を下ろしたパルスは、ぼんやりと己の荷物の置かれたテーブルの上に視線を落としていた。
 とは言え、特に何を見ているという訳では無く。
 彼は己の主の事やこれからの事について、考えを巡らせていた。

 敵の手中にあるとはいえ、主の身は安全だ。
 敵は復活の儀式を終えるまで主を……シャスタを手に掛けることは出来ないし、シャスタもまた、己の命を盾に言いたい放題することはあれど、決して無責任に投げ出すことはしない筈だ。
 ……ハルナ達の友人については、シャスタが何とかしていることを祈るしかないのが苦しいところだが。
 ともかく無事であると判った以上、自分達は精霊の封印を解くことに集中すれば良い。
 加護の影響により、第二世界よりこちらの世界の方が幾分身体も動く。
 その分、協力を約束してくれた彼女達のことも守り易い。
 第一世界の住人だという、少女達。
 加護の力により自分達と同程度の身体能力が備わっているということは今日で理解出来た。
 だが、魔力の影響下に無い世界にいたということは、魔物と対峙したことが無いということ。
 自分達の世界ですら、騎士や魔法士でも無い人間がそうそう対峙することの無い存在だが、対峙したことが無いとい、ことは戦いや殺戮とも無縁であったと「うことだ。
 そうあう世界に、きっと、自分達は彼女達を巻き込んでしまった。
 だから、出来うる限り麹浮「部分は自分達が引き受けなければなゅない。
 誰かの目の前で、魔物や人を斬チた時。
 己が助けくそフ誰かは、謝意ではなく恐怖の念を抱く。
 勿論助けら黷スことを喜び心から感謝する者も多くいるが、恐怖する人間もそれなりi多いのが現実だ。  自分達に恐怖を抱き、吐き気がするほどのあの視線を、向けてくるかも知れない。
 だがそれでも、彼女達を己と同じ側の人間にしたくは無かった。
 例え恐怖されたとしても、覚悟はある。
 ……だが。

 そこまで考えたところで、パルスの思考は中断された。
 頭から雫を滴らせている彼を見かねたカイリが、パルスの頭にタオルを投げつけたのだ。
 顔で受け取ったパルスは視界を塞ぐそれを手に取り、ゆるりとタオルが飛んできた方向を見る。
 その先に立っていたカイリは風呂から出たばかりのようで眼鏡を外しており、普段より随分鋭い目つきでパルスを見ながら己の頭を拭いていた。
「子供じゃないんですから、頭ぐらい拭いたらどうですか」
 以前からそうだが、カイリは眼鏡を掛けている時といない時とで雰囲気が変わる傾向にある。
 いる時は穏和で、いない時はどちらかというと冷淡な雰囲気だ。
 単に、掛けていない時は見えない所為で目つきが悪くなっているだけなのかも知れないが。
 パルスは特に返事もせず、タオルを広げて肩に掛けた。
 カイリはパルスが判らないくらい小さく息を吐いて、自分が寝る予定のベッドの上に放り投げられた荷物の中から眼鏡を取り出して掛ける。
 丁度その時、ノックも無く部屋の入り口の扉が開いた。
「ただいま」
 入ってきたのは、少し前に街を見物してくると言って出かけていたフラットだ。
 手ぶらで出て行った筈だが、何故か片手に紙袋を抱えている。
「無いと寂しいだろ?」
 そう言って彼がテーブルの上に置いた紙袋の中身は、酒と軽い食べ物だった。
「確かに無いと寂しいですけど、お金はどうしたんですか」
「ああ、出掛けてくるって声掛けたらミフユがお小遣いですってくれたよ。いい子だよね」
「そ、そうですか……」
 自分が持っていると無駄遣いしそうだからと華奈が深冬にお金を預けていたので、彼らも、彼女達が金銭に関してはしっかり者だと太鼓判を押す深冬に残りのお金を全て預けている。
 お小遣いというのが何と言うか妻に財布を握られている亭主のようだとカイリは思ったが、口には出さなかった。
「街はどうでしたか」
「んー、俺達の世界とさほど雰囲気は変わらない感じかな。商人が多いだけあって活気は凄かったけど。あ、色街らしい通りもあったよ。こういうのは何処も変わらないな」
「……それで香水臭いのか」
「言っておくけど、通りを歩いてたら呼び込みが勝手に群がってきただけだからな?」
 フラットがパルスの隣の椅子に腰を下ろしたので、カイリも空いている椅子に掛ける。
 そこでふと、フラットがテーブルの上のパルスの荷物からこぼれている小さなケースを目に留めた。
 パルスに断りもなく、フラットはそれを手に取る。
 珍しくパルスが焦ったのを横目に、フラットは容赦なくケースを開いた。
 中にあったのは、パルスの瞳と揃いの紅の中に時折オレンジの光が明滅する、小さなピアス。
 それを視認したフラットとカイリは、思わず真顔で顔を見合わせる。
 パルスは緊張の汗を一筋流した。
「まさか、ミモザじゃ……ないですよね」
「彼女はどちらかというとパルスを観察対象として見て楽しんでるからね」
「オフェリア?」
「幾ら死の危険のある儀式の前でも彼女がそこまでの行動に出れるか……」
「魔法士のラスタ?」
「……からだったらパルスが受け取るのは考えにくい」
 他にも幾らか女性の名前がつらつらと挙げられていく。
 パルスはもう寝てしまうしかないと思い席を立とうとするが、真顔のままの二人の顔がぐるりとパルスの方へ向けられた。
 二人の視線攻撃に、パルスは動けなくなる。
「「……で、誰から?」」
 パルスは視線を逸らすことで軽く抵抗してみるが、幼馴染かつ同僚のこの二人には通用しないようだった。
 それに、答えずに勝手な憶測を立てられても困る。
「今日、情報収集してる時にな……」
「へぇ」
「ハルナに?」
「……」
 パルスは答えなかったが、沈黙は肯定と受け取られたようだ。
「……情報料として買わされたのを無理矢理押し付けられただけだ」
「でも受け取ったんだ」
「あいつ等は知らないだろう」
「でも受け取ったんですね」
 徐々に微笑ましそうな表情に変わっていく二人の視線がパルスを疲弊させていく。
「ハルナさんは自分が付けるという考えには至らなかった訳ですね?」
「ピアスの穴が開いていないそうだ」
「開けてあげれば良かったのに」
「馬鹿を言うな」
「じゃあ僕達の世界の風習を教えてあげれば良かったんじゃ」
「何故教える必要がある」
 パルスはうんざりして立ち上がった。
 逃げる気か、という視線を向けられるが、知ったことではない。
 ただでさえ今日一日の様々な出来事で疲労しているというのに、これ以上疲れさせられたらたまったものでは無かった。
「もう寝るぞ」
 パルスは一番窓際のベッドに倒れ込み、布団を頭まで被って彼らの視線を遮断する。
 フラットとカイリは小さく苦笑した。
 パルスをこの手の話題で弄れるなど稀であったゆえ、苦手と知りつつ少々弄り過ぎたかも知れない。
 だが。
 王国に仕え、シャスタに仕え、国王に対する恩義を返す為に強くなることしか考えてこなかったこの男にそういった微笑ましい話が少しでもあるのは、悪くないことだ。
 それは自分達も同じだが、パルスは特に、それ以外の物事には目を向けない傾向にある(単に性格かも知れないが)。
 パルスはもう少し、国の為ではなく自分の為を考えるべきだ。
 ハルナがその一助になってくれれば良い。
 そんなことを考えながら、フラットは折角買ってきた第三世界の酒を自分とカイリのグラスへ注いだ。
「タマキ、カイリの好きそうな娘だな」
「ぶっ!」
 突然ターゲットにされ、カイリは口に含んでいたアルコールを噴き出して咽る。
 咽たゆえか違う理由か顔を真っ赤にして、カイリはフラットを睨み付けた。
「ごほ……と、突然何を言うんですか」
「どうなの?」
「どうって、会ったばかりですからどうもこうも……」
 傍から見ると一目惚れしたことはばればれなのだが、カイリはどうやら弁明が通じると思っているらしく、もごもごと何事かを口走っている。
 その様子を観察しながらフラットはグラスを傾け、小さく笑った。

 絶望的な、殆ど死しか見えていなかった儀式。
 奇跡のような精霊の力添えでそれを超え、シャスタを、自分達の世界を救う機会を与えられた。
 課せられたものや対峙しなければならないものの存在は大きい。
 だがそれを差し引いても今のこの状況は幸運としか言いようが無かった。
 出来ることなら、この旅の終わりまで幸運が続けばいい。
 何に対して捧げたのか判らない祈りを、フラットは心中で呟いた。


<-- contents -->