the past misapprehension

 天上人の聖域セレスティアルと呼ばれ、しかしその名をあまり多くの者には知られていない場所。
 均衡が崩れ、魔物達の生態系が狂い、頻繁に人間を襲うようになった現在でも、全くその影響を受けずに存在する……まるで、世界から切り離されたような空間。
 それは、確かにヴァリアの森の奥に存在していた。
 ヴァリアの森は均衡が崩れる以前より獰猛な魔物が生息する地帯で、森へ好んで近付く者は少ない。
 しかし、そんな森の中にある聖域には、何百年も以前よりある使命を負った人間が住んでいた。
 その人間が負った使命とは、何百年も以前より世界を脅かそうとしている妖魔ファーゼイスの封印を見守り続けている『フレイア』の、代々受け継がれてきている知識や経験の結晶体である『ジェネシス』を守ることだ。
 守りきれなければ世界に影響を及ぼすという重要な使命を負ったその人間は、フレイア同様外界との接触を断ち、聖域にそびえる神殿(というよりは教会に近い外見だが)の中で孤独な一生を送ることが多かった。

 しかし、現在、神殿には七名もの人間が存在していた。
 先日『フレイア』を継承した少女、ナナ。
 代々フレイアに受け継がれてきた銀色の剣を操る少年、サフィン。
 フレイアの洗練された技の一部を受け継いだ、サリサとキリト。
 そして、ジェネシスを守る使命を継承したソフィアと、その友人であるシセルとルーティアだ。



 試練を終えたナナが意識を取り戻してから、毎日数時間に渡り神殿の近くで響いている鋭い剣撃の音と、短い掛け声。
 その音を発しているのは、毎日早朝からサフィンを無理矢理修行に付き合わせているシセルと、文句を言いつつも真剣にその修行に取り組んでいるサフィンだった。
 殆ど休憩することもなく続けられる二人の攻防を神殿の一室の窓から見ていたティアは、頭に手をやりながら小さく息を吐く。
 「良くやるねぇ、あいつら」
 その言葉を聞いて、同じ室内にいたソフィアとナナも窓からひょっこりと顔を出し、外で攻防を繰り広げている二人を見た。
 目にも止まらぬ速さで繰り広げられる攻防。
 ツインエッジを使った剣術を得意とするティアは、二人の剣術を少しでも参考にしようと先程からそれを見ていたが、二人の、余りにも人間離れした身のこなしに、参考にしようとする意志はもはや消え失せ、逆に少々呆れ返っていた。
 しかも、サフィンの方はまだ結構な余力があると見える。
 そう考えてティアが再び小さく息を吐くと、ソフィアが外の二人を見てくすくすと笑い出した。
 「本当に、楽しそうねぇ、シセル」
 ソフィアがそう言うのでティアもシセルの方へと視線を向けてみる。
 成程、確かに普段は鉄面皮のように仏頂面なシセルが口の端に僅かながら笑みを浮かべているようだ。
 付き合いの長いソフィアやティアでないと判別出来ないほど微妙なものだが……
 (本当に、シセルのことには目ざといな、コイツは……)
 ティアは半ば呆れながらも感心してしまう。
 三度、息を吐きながら、今度は先程から黙ったままのナナに視線を向ける。
 すると、ナナは何やら微妙な表情で外の二人を見ていた。
 「どうした? ナナ」
 ティアが問いかけると、ナナは一度ティアの方を見て、再び外の二人へと視線を戻す。
 「ん〜……何だか、サフィンも……凄く、楽しそうだなと思って」
 そう言ったナナを見ると、微妙に頬がふくらんでいる。
 ティアはそれを見て思わず吹き出しそうになり、必死でこらえた。
 「サフィン、私が相手の時はあんなに真剣に戦ってくれたことないのに……」
 小声で呟いたナナの言葉を、ソフィアとティアは聞き逃がさなかった。
 「あら、ナナ……もしかして、やきもち?」
 すかさず、ソフィアが突っ込む。
 ソフィアの突っ込みに、ナナは頬を紅潮させた。
 「ちっ……違うよっ!」
 慌てて両手を振りながらナナは弁解を図るが、ソフィアとティアには通じず。
 弁解が通用しないと判明すると、ナナは外の二人に視線を戻し、増々頬をふくらませた。
 「私も修行しようかなぁ……」
 「駄目よ。 ナナはまだ本調子じゃないんだから。 それより、もうすぐお昼だから、ティアの食事の準備を手伝いましょう」
 「お前も手伝うのか……?」
 ソフィアの言葉に、思わずティアは聞いてしまう。
 しかし、ソフィアは極上の笑みを浮かべ、のたまった。
 「私はつまみ食い専門だけれどね」
 「あ、そ……」
 ティアは呆れ返り、大きなため息をついた。



 そろそろ昼食の時間だということに気付いたサフィンとシセルは、修行の手を休め、一息ついていた。
 「お前、まだ本気を出していないだろう」
 一息つくなり、シセルは文句を言う。
 「いや、俺は結構本気で……」
 「嘘をつくな。 俺にはまだお前が力を隠しているようにしか見えない」
 サフィンが言葉を返そうとすると、シセルがそれを遮った。
 言葉を遮られると、サフィンは俯き加減になり、黙り込む。
 サフィンはシセルとの修行には、言葉通り真剣に臨んでいた。
 しかし、確かに……フレイアから享受した、尋常ではない破壊力を持った技の数々は、今までの修行では出してはいなかった。
 それは、無意識のうちに「仲間」と呼べる人間との手合わせだという理由で力を加減してしまっていたせいであるのだが……
 心の底から力を、強さを求めているシセルに対しては、それは無礼以外の何ものでもないのだろうか。
 そう思い、サフィンは修行用の木製の剣を握っていた左手に力を込める。
 そんなサフィンの様子をシセルは黙って見ていたが、しばらくすると、サフィンから視線を外して神殿の入り口の方へと向かい始めた。
 「まぁ、いい。 午後からも修行に付き合ってもらうぞ」
 「ああ」
 シセルの言葉に、サフィンは幾分はっきりした声で答える。
 これからは、自分の全力といえる力でシセルに対しようという決意を込めて。
 シセルと並んで、サフィンも神殿の入り口へと向かい始める。
 しかし、その時。
 サフィンは足元に放置してあった別の修行用の剣につまづき……シセルを巻き込んで、盛大に転んだ。
 「っ痛〜……」
 「馬鹿が……気を付けろ……」
 「悪い」
 サフィンは打ってしまったらしく少々痛む後頭部をさすりながら起き上がろうとするが、何かが邪魔をしていて起き上がることが出来ない。
 気付くと、転倒に巻き込まれたシセルが、サフィンの上に覆い被さるようにして倒れていた。
 シセルは顔をしかめ、左手を支えにして少し上体を起こし、右手で額の辺りをさすっている。
 「悪い、シセル……どいてくれ」
 サフィンに言われ、シセルはようやく自分がサフィンの起き上がる邪魔をしていることに気付き、身体を起こそうとする。
 が、その時、二人は自分達に奇妙な視線が向けられていることに気付き、神殿の入り口の方へと視線を向けた。
 入り口付近には、昼食を取る為に修行を切り上げてきたサリサとキリトが……動きを止め、二人の方を凝視したまま佇んでいた。
 それは、何か信じられないものを見ているかのような目付きだった。
 それもその筈。
 修行のせいでほつれているサフィンの髪。
 激しい攻防の末、着崩れしている二人の服。
 仰向けで倒れているサフィンの上に覆い被さっているシセル。
 ……サリサとキリトの目には、どう見てもシセルがサフィンを押し倒しているようにしか見えなかった。
 二人の視線に、サフィンの頬を一筋、冷や汗が伝う。
 「あんた達……最近やけに仲が良いと思ったら……」
 サリサがそこまで言って言葉を切ると、その後にキリトが続く。
 「……そういう、関係だったのか……」
 その言葉を最後にして、奇妙な沈黙が四人を包み込んだ。
 しばしの間、四人は身動きも取れずに固まる。
 しかし、沈黙を破るようにしてシセルが起き上がり、傍らに落ちていた愛用の剣を拾い上げ、それを抜きながらサリサとキリトの方へ向かっていった。
 「な、何するつもりだ……?」
 シセルの行動に不信を抱いたサフィンが、起き上がりながら問い掛ける。
 すると、シセルは無表情のまま恐ろしいことを口走った。
 「こうなったら口を封じるしかあるまい」
 シセルの言葉にサリサとキリトはびくりと身体を震わせ、硬直を解いて急いで神殿の中へと駆け込んでいく。
 それを追おうとするシセルを、サフィンは必死で止めた。
 「止めろって! 何考えてんだ!?」
 「誤解を生む芽は摘み取るべきだ。 そこをどけ」
 「お前の言葉が余計に誤解を生んでるだろ!!」
 サフィンの言葉に、シセルは舌打ちして眉を寄せる。
 「全て貴様の責任だ。 死をもって償え」
 「俺だけのせいじゃないだろ!!」
 剣を向けてくるシセルに、サフィンも愛用の剣……フレイアに代々伝わる剣を構えて対抗する。
 二人はこの時初めて……真剣で、本気で戦った。



 十数分、本気で戦い、しかし決着(?)は着かなかったサフィンとシセルは、ふらふらと神殿内へ……いつも食事をとっている部屋へと入っていった。
 サフィンはもう皆が食事を終えて部屋を出ていることを祈っていたが、こんな時に限って皆そろっている。
 しかも、何となくこちらへ向けられる視線と気まずそうな雰囲気から、サリサとキリトが先程のことを皆に話したであろうことは明らかだった。
 「そんなになるまで……」
 本気で戦った為ボロボロになっている二人の様子を見て、キリトが呟く。
 その言葉に、サフィンのこめかみの辺りがぴくりと動いた。
 「あれは……転んだんだよ」
 「そんな見え透いた嘘を……」
 サフィンの弁明を聞き入れようとしない、しかも更に誤解を招くようなキリトの言葉に、サフィンのこめかみが更にぴくりと動く。
 だが、そんなサフィンとはうって変わり、シセルは沈黙して無表情のまま自分の普段座っている席へと座った。
 そして、無言無表情のまま用意してあった昼食に手を付け始める。
 どうやら面倒臭くなって無視を決め込むことにしたようだ。
 そんなシセルの態度に、皆が威圧されて思わず冷や汗を流す。
 しかし、そんな中、ひとりだけひるんでいない者がいた。
 いつものような微笑みを……いや、何故か恐怖を感じる、いつもとは微妙に違った微笑みを讃えた、ソフィアだ。
 「ねぇ、シセル」
 ソフィアの発した言葉に、シセルは食事の手を止める。
 周囲の者達は思わず息を呑んだ。
 「私、シセルが両刀使いだなんて知らなかったわ」
 ソフィアの言葉にシセルは固まり、手にしていたフォークを取り落として、ゆっくりとその視線をサリサとキリトへ向けた。
 サリサとキリトはびくりと身体を震わせる。
 二人に向けられた視線には、明らかに殺気が込められていた。
 緊迫した空気が流れる。
 しかし、それを破るようにしてナナが立ち上がり、入り口付近で立ち尽くしていたサフィンの方へと近付いてきた。
 ナナはサフィンの前で止まり、何かを言おうとするが、俯き加減で何やら言い辛そうにしている。
 「ナナ、どうしたんだ?」
 「あの、ね……」
 ナナは一度視線を床へ落としてから、意を決したようにしてサフィンを見た。
 「私のせいなんだよね?」
 「は?」
 何のことだか判らず、サフィンは聞き返してしまう。
 「だから……サフィンが男に走ったのって、私のせいなんだよね?」
 その言葉に、サフィンはぴしっと音を立てて固まった。
 「私が鈍感だから……だからいけないんだって、サリサとキリトが言ってたの。 私、『男に走る』とか『両刀使い』とか『受け』とか良く判らないけど、私に出来ることがあるなら、一人で抱え込んでないで相談してね?」
 本当に心配そうに、ナナはサフィンの顔を覗き込む。
 サフィンは、ギ、ギ、ギ、と何とか首を動かし、サリサとキリトの方を見た。
 「何て言った」
 サフィンから発せられた空気が凍り付きそうな程低い声に、サリサとキリトは思わず椅子から立ち上がり、後ずさる。
 「い、いや……あたし達は、善意で、ね……?」
 「ナナに何て言ったって聞いてるんだ」
 サリサの言葉には聞く耳を持たず、サフィンは腰に携えた剣に手を掛けつつ、じわじわと二人へ近付いていく。
 どす黒い怒りのオーラを全身から漂わせ、溢れる殺気を隠そうともせずに。

 その後、詰め寄られて流石に命の危機を感じたサリサとキリトは、サフィンとシセルに対してひたすら平謝りすることとなった。
 誤解が解けたかどうかは、別の話だが……


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