旅の途中、ナナ達四人は一晩の宿を求めてウロという名の街へ立ち寄った。
ウロという街は、治安も悪くはなく、それなりに整備された……言わばどこにでもあるような街並みだが、ひとつだけ、特筆すべきことがある。
それは、酒造が盛んだということだ。
特に、ウロ近辺で収穫される様々な果物を使用した果実酒は、その鮮やかな色彩と飲み口の良さで、飲む者を、そして見る者をも魅了するという。
「この街は、酒造が盛んなのよ」
ウロに着くなり、やけに嬉しそうな口調でサリサがそう言った。
サリサの隣を歩くキリトも、どことなく嬉しそうな表情をしている。
お酒はあまり好きではないナナは、サリサの言葉に短く「へぇ〜」とだけ返し、そういえばサリサとキリトはお酒好きだったなぁ、などと考えながら辺りを見回し始めた。
成程、確かに酒屋は多いようで、それらしい香りが漂ってくる。
しかし、ナナは、その香りに混ざって果物の香りも強く漂っていることに気が付いた。
「ねえ、サリサ、この街は果物も盛んなの?」
「ええ、そうよ。よく気付いたわね」
「うん。何か、お酒の臭いに混じって果物の臭いがするから」
「この街……ウロの近辺は、気候と地質に恵まれていて、色々な果物が栽培されてるのよ。だからこそ酒造の…特に果実酒の製造が盛んなんだけどね」
「へぇ〜」
今度は僅かに頬を紅潮させながらそう返すと、ナナは再び辺りを見回し、
「私、お酒よりそっちの方が良いなぁ」
と呟いた。
その様子を見て、サフィンは目を細める。
「ナナは昔から果物類好きだったもんな」
「うん!」
自分の方へ振り返り、嬉しそうに答えるナナを見て、今度はサフィンが僅かに頬を紅潮させる。
その一瞬の変化を、サリサとキリトは見逃さなかった。
(ベタ惚れね…)
そう思い、サリサが横目でキリトを見ると、キリトは少しニヤニヤしながらサフィンを見ている。
サリサと同じようなことを考えているのは明白だった。
(まぁ、確にナナは可愛いんだけど)
サリサは小さく微笑むと、今度はナナの方へ視線を向ける。
「後で買ってあげようか?」
「え?いいの?」
「勿論いいわよ」
「うわぁ〜、ありがとう!」
心底嬉しそうに、ナナはサリサに笑顔を向けてきた。
つられるようにしてサリサも微笑むと、何やら横から髪を軽く引っ張られるような感覚があり、視線をそちらへ向ける。
サリサが視線を向けると、髪を引っ張っていた主、キリトは、不敵とも取れる妖しげな笑みを讃え、何かを耳打ちしようとサリサに顔を近付けてきた。
「ちょっと、良いこと考えたんだけど」
「何よ」
サリサは少し眉をしかめながらも顔を近付ける。
しかし、話を聞き終える頃にはサリサの顔にも妖しげな笑みが浮かんでいた。
話が聞き取れなかったナナとサフィンは、きょとんとして首を傾げながらサリサとキリトを見る。
それに気付いたサリサは、表情を素早く元に戻す。
「何でもないわよ。とりあえず今日泊まる宿を探しましょ」
ナナとサフィンは益々不思議そうに首を傾けるが、聞いても答えてくれそうもなかったので諦めて宿探しをすることにした。
宿を見付け、取った部屋に荷物を置くと、サリサとキリトはそそくさと買い物に出掛けてしまった。
暇になってしまったナナとサフィンは、とりあえずサフィンとキリトの方の部屋へ集まり、カードゲームをしながら二人を待つことにする。
それから数時間経ち、二人が宿へ戻ってきたのは、日も殆どが沈みかけた頃だった。
「何、それ」
二人が部屋へ戻るなり、唖然とした表情でサフィンが言った。
当の二人は、というと、両手一杯に酒瓶と果物の入った紙袋を抱えて満面の笑みを讃えている。
「街中を歩き回って良さそうなのを片っ端からね」
そう言いながら、サリサは部屋に備え付けてある木製の丸いテーブルの上に抱えていた荷物を降ろす。
続いて、明らかにサリサの倍の荷物を抱えていたキリトもその荷物を降ろした。
荷物を降ろすなり、サリサとキリトは椅子に腰掛け、袋の中身を取り出し始める。
その様子を、ナナは瞳を輝かせながら見ていた。
「すごい、綺麗…」
次々と並べられていく色とりどりの酒瓶を見て、ナナは感嘆の声を漏らす。
「そうでしょ。ナナも飲んでみる?」
サリサの言葉に、ナナは首を勢い良く横に振って思い切り拒否する。
ナナを見てサリサはくすくすと小さく笑い、果物が入った紙袋をベッドに腰掛けているナナの膝の上に置いた。
一瞬、ナナはきょとんとするが、紙袋の中身を見た瞬間その瞳を再び輝かせる。
「お土産よ」
「すごい、こんなにたくさん……ありがとう、サリサ!」
ナナの嬉しそうな表情にサリサは笑顔を向けると、酒瓶や果物が入っているものより一回り小さい紙袋を手に取り、その中身をナナとサフィンに薦めた。
紙袋の中身は、美味しそうなパンだった。
「お腹空いてるでしょ?部屋食が無いみたいだったから、買ってきたのよ」
そういえば、と、ナナとサフィンは自分のお腹に手を添え、もう夕食を食べるような時刻だったことを思い出す。
二人はパンを取り出すと、ベッドから降りて空いている椅子に腰掛け、食べ始めた。
サリサとキリトは、いそいそと酒瓶を開け、グラスに注ぎ始める。
注ぎながら、二人はちらりとナナと話しながらパンを食べているサフィンを見て、僅かに口の端を釣り上げた。
数十分後、美味しいパンと果物でお腹を満たしたナナは、幸せそうな表情で椅子から立ち上がった。
「ねぇ、サリサ、先にお風呂に入っても良いかな?」
「良いわよ〜」
サリサはグラスを煽りながら答えを返す。
それを聞いて、ナナは「じゃあ、行ってくるね」と言って部屋を出て行った。
ナナが部屋を出るのを目線で見送ると、サフィンはテーブル周辺に視線を巡らす。
テーブルの上には空になった酒瓶が数本並んでおり、テーブル周辺の床にも何本か転がっていた。
(よく飲むな…)
サフィンは二人が気付かない程度に小さく息を吐く。
その時、ふと異質な視線を感じ、サフィンは顔を上げた。
顔を上げた先にあったのは、にんまりと妖しげな笑みをこちらに向けているサリサとキリトの顔だった。
余りの妖しさに、サフィンの頬を一筋、冷や汗が伝う。
「な、何…?」
思わずサフィンが問い掛けると、二人は更に口の端を釣り上げた。
「サフィン君ってさぁ、お酒飲むとどうなる訳?」
「は?」
不自然な笑みで問い掛けてくるキリトに、サフィンは内心引きながら問い返す。
「いや、だからさ、サフィン君がお酒を飲むとどうなるのかが知りたい訳よ、俺達は」
「どうなるって言っても…俺、飲んだ後記憶が無くなるから…」
サフィンが言うと、二人は待ってましたとでも言わんばかりの笑みを作る。
サフィンにはそれがとても凶悪なものに思えた。
「じゃあ、あたし達の為にちょっとばかし飲んでくれないかしら?」
言いながら、サリサがサフィンの前に酒の入ったグラスを突き付ける。
サフィンは首を勢い良く横に振り、頑なに拒否した。
サフィンが拒否すると、サリサは小さく舌打ちしてキリトに目配せする。
すると、キリトがグラスを持って椅子から立ち上がり、真顔でサフィンの方へ迫ってきた。
本能的に危険と察知したサフィンも椅子から立ち上がると、キリトを正面に見据えたままじりじりと後退する。
しかし、サフィンはついに壁際へ追い詰められてしまった。
背中に触れる感触でサフィンはもう後が無いことを知るが、時既に遅し。
壁に手を突いて目の前に立ちはだかるキリトと壁との間に挟まれてしまったサフィンに、もう逃げ場は無かった。
「飲んでくれ、俺の為に」
「嫌だ」
真顔で言ってくるキリトにサフィンが即答すると、キリトは更に顔を近付けてくる。
傍から見ると、かなり妖しい光景だ。
「恥ずかしがるなよ…お前の全てを見せてくれ」
「あのなぁ…」
サフィンは更に冷や汗を流し、キリトから視線を外して逃げ道を探そうとする。
その瞬間。
キリトの目が一瞬輝いたかと思うと、サフィンはキリトに無理矢理口を開かされ、キリトの持っていたグラスの中身を口の中へと流し込まれていた。
流し込まれた酒を飲み込んでしまうと、サフィンはその場に崩れ落ちる。
キリトはその場から数歩後退し、サリサと共にわくわくしながらサフィンの様子を見守った。
……数秒後。
何やらどす黒いオーラを漂わせたサフィンが、ゆっくりと、その場から立ち上がった。
美味しいものでお腹を満たした後の風呂をたっぷりと堪能したナナは、鼻歌混じりの上機嫌で部屋へと戻ってきた。
「ただいまー」と言いながら、笑顔で部屋の扉を開く。
しかし、室内の惨状を見た瞬間、一瞬にしてその表情を凍り付かせた。
室内には空になった酒瓶が幾つも散乱しており、中には割れているものや壁に突き刺さっているものもある。
テーブルの上に置いてあった残りのパンや果物も、無造作に床に転がっている。
そして、ナナの方へ背を向けて椅子に座り、組んだ足をテーブルの上に放ってグラスを煽っている男がひとり。
男はナナが部屋へ入ってきたことに気付くと、足をテーブルから下ろし、口の端を釣り上げながら椅子から立ち上がった。
「よぉ、ナナ、遅かったな」
そう言いながらナナの方へ近付いてくる男は、髪もほどけ、目も据わってはいるが……紛れもなく、サフィンだった。
ナナの顔から、一気に血の気が引いていく。
過去の経験から、これらの惨状の全てがサフィンの仕業だと判ってしまったからだ。
「風呂上りか、良いねぇ」
サフィンは硬直して動けずにいるナナの顔を覗き込んでくる。
ナナは、何とか首だけを動かすと、部屋の隅へ視線を向けた。
視線の先にいたのは、ナナに向かって「ゴメン」の格好をしているサリサとキリト。
「あんなの見てないでこっち向けよ」
サフィンは無言のまま二人を見ているナナの頬に手を添えて自分の方を向かせると、再び口の端を釣り上げ、ナナの背中と膝の裏に手を回し、軽々と抱き上げた。
これには流石に硬直していたナナも正気を取り戻し、抗議の声を上げる。
「ちょっと、何するの!?」
「良いコト」
「やだ、止め…」
ナナの抗議の声にも構うことなく、サフィンはナナをベッドまで運び、組み敷いた。
それを見て、サフィンのあまりの豹変ぶりに怯えていたサリサとキリトも驚き、止めようと一歩前へ出る。
「サフィン!?あんた何やって…」
「うるせぇな」
制止しようとする二人に、サフィンはナナを組み敷いたまま忌々しそうな視線を向ける。
その視線を受け、二人は思わず動きを止めた。
「外野はどっか行けよ」
吐き捨てるようにそう言うと、サフィンはナナの方へ視線を戻し、ナナの頬に手を添えながらほくそ笑む。
「それとも……見られてた方が燃えるか?」
言いながら、サフィンはナナに向かって徐々に顔を近付けていく。
しかし、その時。
ナナの中で、何かが切れた。
手首を押さえ付けていたサフィンの手を振りほどくと、ナナは素早く身体を下へずらし、サフィンの鳩尾に掌底破を叩き込む。
そうして浮き上がったサフィンの身体を、ナナは左手を軸にした回し蹴りで吹き飛ばした。
吹き飛ばされたサフィンは思い切り壁に激突し、ずるずるとその場に崩れ落ちる。
サフィンが動かなくなったことを確認すると、ナナはゆっくりと立ち上がり、怒りのオーラを纏わせながらサリサとキリトの方を見た。
一連の出来事を唖然とした表情で見ていた二人は、ナナの視線を受けてびくりと身体を震わせる。
サフィンが暴れ出した時以上のプレッシャーに、二人の頬を冷や汗が伝った。
「何で……」
ナナの言葉に、二人は思わず身を寄せ合い、後ずさる。
「何で、飲ませたの」
言いながら、ナナはゆっくりと近付いてきた。
「サフィンにお酒を飲ませちゃ駄目だって……私、あれ程言ってたよね……?」
ナナのただならぬ怒りを前に、二人はもはや「好奇心です」などと答えることはできなかった。
(そんなこと言ったら殺られる……!!)
二人は冷や汗を流しながら、
「ご、ごめんなさい……」
と言ってナナに頭を下げる。
むしろ、そうすることしか出来なかった。
翌日、宿泊費プラス荒らされた部屋と罅の入った壁の修理代を支払うと、四人は宿を後にした。
町の大通りを歩きながら、サリサとキリトはちらりとサフィンを見る。
サフィンは、というと、何事も無かったかのような表情で少し不機嫌そうなナナの隣を歩いていた。
「サ…サフィン……?」
恐る恐る、キリトが声を掛けると、サフィンがキリトの方を向く。
「本当に、何も覚えてないのか…?」
「いや…何も…」
キリトの質問に、サフィンは首をかしげる。
朝起きた時、サフィンは室内の惨状に酷く驚いた様子で、何があったのかとキリトに尋ねてきた。
しかし、本気で何も知らないといった風のサフィンの様子に、キリトは真実を伝えることができなかった。
「今回はマシな方だよ。以前、フレイアが無理矢理サフィンにお酒を飲ませた時は、家が半壊したもん……」
昨日の夜、ようやく怒りを鎮めた後、ナナが二人に向かってそう言っていた。
家が半壊する程暴れ回るサフィンを想像し、二人は冷や汗を流す。
今回、サリサとキリトが理解したことがふたつ。
サフィンにお酒を飲ませてはいけない。
そして、決してナナを怒らせてはいけない。
ひっそりと、しかし強固に、二人はそう誓い合った。
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