the past 間奏曲−2

 「これは……凄いな」
 シャハラザードから授かり、ミルトレイアへと辿り着くまでの間常にサリサの魔力を吸収させ続けてきた水晶のような丸い結晶体。
 それを手に取ったまま、ティアは感心の色を含んだ声で呟いた。
 封印術の後継者達が何十年、何百年もの月日を掛けて少しずつ魔力を注いでゆき完成させたというそれは、受け取ったばかりの頃はここまで魔力濃度の高いものではなかった筈だ。
 込められた力が格段に上がっているのはその場に居る者全てが気配で感じ取れるほどで、ティアの魔力自体を感知する左目で見れば、尚更明らかである。
 限りなく透明に近いくせに光の当たり具合で際限なく色彩を変化させるそれは、まるでサリサの魔力そのものを反映しているかのようだった。
 「確かに、ここまで魔力濃度の高い魔具は、見たことが無いわ」
 細くしなやかな指をティアの手の上にある結晶体に滑らせながら、ソフィアが言う。
 これならばファーゼイスを封じることが出来るかも知れない、と、殆どの者がそう思考を巡らせていた。

 サフィンが戻ってこない為に結局3人で食事を取ってしまったナナ達とソフィア、ティアの5人は、現在、ナナとサリサの為にと取った部屋の室内へ集まっていた。
 長期間行っていた魔力の流出を止めた為か急激に疲労に襲われたサリサが横になっているベッドの傍らには、心配そうにサリサの様子を伺うナナが立っている。
 サリサの顔が覗き込める位置の壁にはキリトが寄り掛かり、ベッドを挟んでナナの反対側には、結晶体を感心しながら覗き込んでいるソフィアとティアが居た。
 一通り結晶体を観察し終えると、ティアは室内に備え付けてあるテーブルの、サリサが用意した柔らかいクッションのような布の上に結晶体を降ろす。
 世界の存続に関わる重要な魔具を扱っている為か、その動きはかなり慎重なものとなった。

 「それより、サリサは大丈夫なの? 苦しくない?」
 ベッドの傍らに跪き、力なく投げ出されたサリサの手を握りながら、ナナが言う。
 食事を終えて部屋へ戻るなりベッドへ倒れ込み、それから数時間もずっと起き上がれないでいるのだから、ナナが心配するのも当然と言える。
 心配を掛けさせてしまっている自分に内心呆れつつ、サリサは疲労を色濃く滲ませながらもナナに微笑みを向けた。
 「寝てれば治るものだから、大丈夫よ。 そんなに心配しなくたって、すぐに動けるようになるから」
 「本当?」
 「嘘は吐かないわ」
 ファーゼイスが拠点としていた地である所為なのか。
 ここは、他の地よりは魔力による恩寵が高いようであった。
 皮肉にも、そのことがサリサの魔力の回復を幾分か早める。
 それゆえあと小一時間もすれば普通に動けるようになるであろうということは事実だった。

 話を聞いて少しは安心したのか、ナナがほっと一息吐く。
 すると、階段の方から何者かが上がってくる足音が聞こえてきた。
 扉に一番近い位置にいたティアが様子を伺うと、足音の主はサフィンとシセルであった。
 がくりと項垂れたシセルがサフィンの肩に片腕を回し、殆ど引きずられるような形で階段を上ってきている。
 ティアはぎょっとして、2人の方へと駆け寄っていった。
 「シセル! 何かあったのか!?」
 「あ、いや、これは……」
 「何でもない。 手合わせをしただけだ」
 サフィンの言葉を遮るようにして、シセルが言う。
 その一言で何となく事情が判ってしまったティアは呆れ顔でため息を吐き、部屋から顔を出して様子を伺っていたソフィアはくすりと笑いを漏らした。
 「全く、こんな時に何をやってるんだ、何を」
 サフィンとは反対側に回り込み、ティアはシセルの空いている方の腕を己の肩に回させる。
 シセルは微かに渋い顔をしたが、ティアの手を振り解くことはしなかった。
 ベッドに横になっているゆえサリサはシセルの状態を部屋の前を通り過ぎる一瞬しか見ることが出来なかったが、結構な重症らしかった。
 「どうやらあたしの心配してる場合じゃないみたいよ、ナナ」
 苦笑交じりにそう言うと、ナナはこくりと頷いて部屋の外へと駆けていく。
 ナナが部屋を出て、最後に何やら不穏な笑みをサリサへと向けたソフィアが部屋を出ると、扉が閉まる音と共に室内は静まり返った。

 (あの笑みは何なの……?)
 不振がり、サリサは周囲に視線を巡らせる。
 と、先ほどまではナナが居た位置に立って何だかとても良い顔で自分を見下ろしているキリトと目が合ってしまった。
 ああ、こういうことか。
 妙に納得しつつ、サリサはキリトから視線を逸らしてどこか遠くを眺めた。
 「あんたは様子見に行かなくて良い訳?」
 「俺が行っても仕方ないだろ? それにこんなまたと無いチャンスを見逃す訳にもいかないし」
 にやりと笑んでから、キリトは己の左手でサリサの右手を取ってベッドに縫い付け、それから徐々にサリサに顔を近づけていく。
 悔しいが今は身体の自由が利かないサリサは、思い切り顔を逸らすことでせめてもの抵抗を見せた。
 しかし。
 ぽすっ、という微かな音を立てて、キリトの顔はサリサの胸元に置かれただけだった。
 身体の自由が利かないのを良いことに好きなようにされるものと思っていたサリサは、思わず拍子抜けしてしまう。
 鎖骨の辺りに、キリトの額が当たっている。
 髪が顎を掠めるので少しくすぐったかったが、身体が自由に動かないゆえサリサには抵抗することが出来なかった。
 否、例え身体が自由に動くような状況だったとしても、抵抗はしなかったであろうが。
 「何よ、どうしたの?」
 意外と柔らかい髪してるのね、などというどうでも良いことをぼんやりと考えながら、サリサは尋ねてみる。
 キリトはベッドに縫い付けたサリサの手に指を絡ませ、微かに力を込めた。
 「サリサは、凄いよな」
 ぽつり、と、キリトは言葉を紡ぎ始める。
 普段のトーンとは違う、覇気の無い、低い声だった。
 「サリサだけじゃない。 ナナも、サフィンも、凄いと思うんだ。 フレイアの力を受け継いでいるということに誇りと自信を持ってて、自分のすべきことをしっかりと見据えて前進することが出来てる。 流石というか、何というか……」
 指を絡ませた手に、更に力が込められる。
 今度は微かに痛みを感じる程の力だった。

 「でも、俺は違う。 俺は、自分の力に自信を……ましてや誇りなんて、持つことが出来ないんだ」

 それは、キリトが初めて漏らした弱音のように思える。
 サリサがキリトと出会ってから4年が経つが、彼はいつでも前向きな物言いをし、行動も自信に満ちていた筈だ。
 時折故郷を思い起こしては憎悪したりもするが、それは決して後ろ向きな感情では無かったし、サリサが弱音を吐きたい時には必ず傍にいて、前へ進む為に必要な言葉を掛けてくれた。
 その、彼が。
 何をこんなに、思い詰めているというのか。
 サリサはいつも、弱音を聞いて貰う側だった。
 だからこんな時には、弱音を聞いてやりたいと思う。
 だいぶ休んでいた為かようやく身体を動かせるようになってきたサリサは、塞がれていない左手を持ち上げてキリトの髪にそっと触れた。
 「どうしてそう思うの」
 「俺はサリサ達と違って、フレイアに直接師事した訳じゃない。 世界を護る為のすべを託されたというのに腐りきっている……里の連中に反抗したくて、強くなろうとしていただけだ。 だから、そんな俺がサリサ達と肩を並べて戦って良いのかどうか……時々、不安になったりもする訳だ」
 「……あんたでもそんな繊細なことを考えたりするのね」
 酷いなぁ、と言いながら、キリトは笑った。
 サリサはかつて彼がそうしてくれたように、キリトの頭を軽く2回叩く。
 その時浮かべていた酷く優しげな表情を、顔を伏せているキリトは見ることが出来なかった。
 「でも、あんたが居てくれなければ乗り切れなかった局面は幾つもあったわ。 特にあたしなんかは何度もあんたに励まされたし、ナナも、サフィンも、あんたを頼りにしてることは確かよ。 それに、ナナがフレイアになってから、あたし達だけじゃなくあんたの力も確実に上がってきている。 それって、フレイアを継ぐ者として認められているということじゃないの?」
 キリトはただ黙ってサリサの言葉を聞いている。
 ただ、指を絡ませた手に込められた力が、少し緩んだ。
 「あたしだって、自信がある訳じゃないわ。 ただ守りたいものがあるから、自分なりに頑張ってきただけよ。 あんただってそうでしょう? 少なくともあたしには、そういう風に映っているわ」
 サリサが言い終えると、キリトは微かに笑いながらサリサの胸元に頬を摺り寄せる。
 「うーん、何と言うか、愛を感じる台詞だなぁ」
 「愛なんて含まれてないわよ。 それより重いからさっさと退いてちょうだい」
 サリサはきっぱりと切り捨てるが、それでもキリトは嬉しそうに笑った。
 それからゆっくりと、顔を上げる。
 間見えた表情は、少々締まりの無い笑みを浮かべてはいるものの、普段の彼そのものであった。

 「たまには弱音も吐いてみるもんだな。 まさかサリサが身体を許してくれるとは」
 「許してないわよ。 あたしはさっさと退けって言ったわよね? 人間の言葉が通じないのかしら?」
 「んー、通じませーん。 ゆえにこのまま情事突入したいと思います」
 少々おどけた口調で言い、キリトはサリサの上に圧し掛かる。
 しかし、耳元に口付けられたその瞬間、サリサは小さなため息と共に瞬時に殺気を漲らせた。
 「甘い……わっ!!
 サリサがキリトに空いている左手を向けると、派手な音と共に凄まじい爆発が巻き起こった。
 キリトは爆風で部屋の外まで吹っ飛び、廊下の壁に全身を強打して力なく崩れ落ちる。
 サリサはベッドの上で上半身を起こすと、とても良い顔で額に浮いた光る汗を拭った。
 どうやら話しているうちに随分と魔力が回復したようである。
 「うーん、これなら完全回復も早そうね」
 どうやらキリトらしい黒焦げの物体を背景に、サリサは満ち足りた顔で窓越しに空を見上げた。


I'm terribly sorry, but please enjoy continuation to the revis.


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