明日、明後日は、サリサの魔力回復を待って宿にて待機。
そしてその翌日の朝、北へ向けて出発。
簡単ではあるがそれしか決めようがないので、出発についての話はこのような形でまとまった。
話が終わると、それぞれが思い思いの行動をし始める。
ナナ、サフィン、サリサ、キリトは、地下の酒場で食事が取れると聞いて、軽食を取ってから休む為に部屋を去ろうとした。
が、サフィンの首根っこ辺りの服を、何者かが捕らえる。
そのせいで首が絞まってしまったサフィンは、微かに眉を寄せて後ろを振り返った。
サフィンの首根っこを捕らえたのは、相変わらず無表情のままのシセルだ。
「何だよ……」
少々不機嫌そうに、サフィンが問う。
「来い」
シセルはそれだけを言うと、サフィンの首根っこを掴んだままずるずると引きずり、部屋を出てしまった。
ナナ達はその様子を呆然と眺める。
「シセルさん……どうしたんだろう?」
シセルの突然の奇行に、ナナは首を傾げる。
その問いには、いつの間にやらナナの隣へと来ていたソフィアが答えた。
「シセル、欲求不満なのよ」
「ヨッキュウフマン……?」
意味が判らず、ナナは更に首を捻る。
ソフィアの発言に、サリサとティアは冷や汗を流した。
「欲求不満って、お前な……」
「あら、だって、ここへ来る間ずっとシセルは剣を振るうのを抑えてきたのよ。 そこへお気に入りのサフィンが来たのだから、戦いたくてうずうずするのは仕方ないんじゃないかしら」
くすくすと笑いながら、ソフィアは言う。
サリサもティアも「あー、そういうことね」と納得したようだった。
ナナもようやく理解し、2人の消えていった方を眺めつつ微かに笑む。
引きずられつつも抗議の声を上げていたサフィンの声は遠ざかってゆき、やがて聞こえなくなった。
抗議の声も虚しく、サフィンはシセルによって街の外れの何も無い平野へと連れて来られた。
「全く、何なんだよ、いきなり」
咎めるようにして言うが、シセルは全く意に介さずにサフィンとの距離を取っていく。
その距離が20歩ほどになると、シセルはゆっくりとサフィンを振り返り、手にしていた剣を鞘から抜き去った。
シセルは剣を腰などには下げず、常に手で持ち歩いている。
それゆえに収めるものを失った鞘は、無造作に地面へと放られた。
とさり、と、鞘が落とされた部分の地面と短い草が音を立てる。
サフィンはその音を耳でだけ捉え、シセルを真っすぐに見据えた。
真剣を、抜いた。
サフィンは軽く目を見開く。
ヴァリアの森の神殿にいる間、サフィンは幾度となくシセルの剣の稽古に付き合わされた。
だから、再会して再び稽古に付き合わせようと、このような場所まで引きずってこられたのは判る。
しかし、今までの稽古では、真剣を使用したことなど殆ど無かったのだ。
「……本気で手合わせをしたことは、一度も無かったな」
抑揚の無い声でシセルが呟く。
確かに、今までの手合わせで本気を出したことは、互いに無かっただろう。
だがそれは、互いに高い実力を持つために本気を出せばただでは済まないであろうことを考慮したゆえと、稽古であるという意識が働いていたせいだ。
シセルはゆらりと腕を上げ、剣の切っ先をサフィンへ向ける。
お前も剣を抜け。
本気で、俺と戦ってみせろ。
鋭い光を宿したシセルの目は、そう語っている。
状況を判っているのだろうかと、サフィンは僅かに困惑した。
何せ、2日後にはファーゼイスの元へ乗り込もうというのだ。
ソフィアやティアが協力を申し出てくれたのだから、シセルも恐らく協力してくれるつもりなのだろう。
無論、彼らにファーゼイスと直接対峙させるつもりは無いが、それでも、乗り込んだら何が起こるのか、どのような敵が待ち受けているのか、見当も付かない。
それゆえサリサの魔力回復を待つことになったのだし、今本気で手合わせをして体力を削るのは得策ではない筈だ。
なのに何故シセルがそのような考えを抱くのかが理解出来ない。
…………
……いや、だからこそ、なのか。
ゆるりと瞼を伏せると、サフィンは右の腰に差してある剣の柄に左手を掛ける。
そして、今度はゆるりと瞼を持ち上げ、剣を鞘から一気に抜き去った。
しゃらん、という音を立てながら空中に美しい弧を描いた刀身が、陽光を反射して銀色に煌く。
シセルと同じように切っ先を相手へ向けたサフィンの瞳には、もう先程のような困惑の色は宿っていなかった。
本気で戦いたいというのならば。
こちらも、本気でその想いを受け止めてやるだけだ。
剣の切っ先を向け合ったまま互いを見据え合っていた2人は、やがて、どちらからともなく思い切り地を蹴り付けた。
すれ違い様、シセルは身体を旋回させながら剣を水平に薙ぐ。
鋭く空気をも切り裂いたその攻撃を、サフィンは銀色の剣を盾にして容易く防いだ。
だが、そのようなことで怯むシセルではない。
続け様に、2撃、3撃と、怒涛のような連続攻撃を繰り出していく。
その度に巻き起こる鋭い風がサフィンの長い髪を巻き上げ、地に生えた短い草を切り裂いて舞い上がらせた。
言うなればそれは、剛の剣。
一撃一撃が鋭く、そして重い。
シセルは自らの剣術を我流であると称していたが、これ程までの実力を自らの鍛錬のみで身に付けたのだとしたら、シセルは天才であると言えよう。
だが、上には上がいるものだ。
サフィンは垂直に振り下ろされた剣を銀色の剣で受け止めると、ようやく反撃に出た。
剣を弾き返した衝撃でシセルが体勢を崩しているところへ続けざまに鋭い追撃を見舞う。
シセルはそれを苦い表情で何とかかわしたが、すぐさま次の攻撃がやってきた。
水平に繰り出されたそれを、シセルは剣を縦に構えて正面で受け止める。
受け止めた瞬間辺りには妙に澄んだ音が響き渡り、直後、もの凄まじい風が巻き起こった。
風はシセルの後方数十メートルにも渡る範囲の地に生える草を切り裂いて巻き上げ、シセルの顔や身体にまで、小さな裂傷を幾つも作ってゆく。
これが魔法などの類でなく剣での攻撃によって生じたものだというのだから、驚愕せざるを得ない。
フレイアの技を継ぐ者だから、とか。
ナナがフレイアになってから技を継ぐ者達の戦闘能力が上昇してきているから、とか。
そんなものは、一因でしかなく。
サフィンがここまでの強さを誇れるのは、天性の才と、本人の努力によるところが大きい。
2人は風が収まらぬうちにどちらからともなく攻防を再開する。
先程よりも鋭い連続攻撃を繰り出しながら、シセルは微かに、ほんの微かに、眉を顰めた。
誰よりも強い、戦う力。
何かを守る為の力。
目の前の男のそれは、一体どこから来るのだろうか。
……もしも、適うのならば。
こんな風に、自分もなりたかった。
シセルは距離を取る為に後方へ大きく跳躍する。
すぐさまその後をサフィンが追ってきたが、地に足が着いた瞬間、シセルは剣の柄を両手で握り締め、渾身の力で振り上げた。
刀身から発生した強大な衝撃は地面を抉り、真っすぐにサフィンへと向かっていく。
サフィンはそれを避けようともせずに一旦足を止め、銀色の剣を大きく振り下ろした。
途端に周囲に響き渡る、大気の振動音。
龍の咆哮のように聞こえるその音と共に銀色の刀身から生み出されたのは、双頭の龍の形をした巨大な衝撃波であった。
双頭の龍は地面を抉る衝撃とぶつかり、それを呑み込んで。
その先にいたシセルを、吹き飛ばした。
「……っつ」
何十メートルも吹き飛ばされて地面に叩き付けられた身体が悲鳴を上げるのを叱咤しつつ、シセルは尚も立ち上がろうとする。
しかしそれは、サフィンの剣の切っ先が喉元に突き付けられることによって阻止された。
容赦なく追撃をかけてきたサフィンの瞳には、普段の彼では想像も付かない、鳥肌が立つ程の鋭い光が宿っている。
仰向けで半分起き上がっている状態だったシセルは諦めたかのようにため息を吐き出し、どさりと、地面へ横たわった。
「俺は、弱いな」
自嘲気味に、シセルは言う。
サフィンは剣の切っ先をシセルから離し、首を横に振った。
「そんなことはない」
そう言った途端サフィンの頬に一筋の赤い線が走り、一雫、血が零れ落ちる。
シセルはその様子を目にして、小さく笑った。
その笑みには、自嘲の意は含まれていない。
「掠り傷ひとつ、か」
「でも、ちゃんと届いたよ」
つられるようにして笑うと、サフィンは剣を鞘に収め、シセルの隣へと腰を下ろした。
顔を上げれば、青々とした空が只々広がっている。
ふたりは何の感慨も無く、しばしの間、ゆったりと流れゆく雲を見送った。
どのくらい時間が経っただろうか。
恐らくそれほど長くはない時間が経過した時、ふと、サフィンが口を開く。
「シセルは、どうして強くなりたいんだ?」
思わぬ問いを投げ掛けられたシセルは一瞬だけサフィンへと視線を送り、再び空へ戻した。
「……特別な理由がある訳ではない」
そう言ってゆっくりと瞳を閉じる。
脳裏に描かれるのは、たったひとりの女の姿。
「ただ、守りたいものがあるだけだ」
普段よりは多弁なシセルの答えに、サフィンは空を見上げたまま微かに目を見開いた。
それから、体勢はそのままに、表情には笑みを湛える。
「それなら、俺と同じだな」
嬉しそうに紡がれたサフィンの言葉に、シセルは短く「そうか」とだけ呟いた。
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