the past 紅い満月−3

 翌日、午前五時半。
 早朝にも関わらず、ロサ・ガリカの住民も何人かが動き出す時刻だ。
 いくつかの人影が見え、畑の手入れや飼い犬の散歩などをしている。
 その人影の中には、ナナとサフィンの姿もあった。
 だが、二人がいるのは里の中ではなく、プラチナの森の崖の上…いつも、修行を行っている場所だ。
 昨晩、赤い月の事が気に掛かってあまり眠れなかった二人は、まだ起きていないフレイアに一言置き手紙を残し、早々と修行を始めたのだ。
 二人は組み手をしていた。
 サフィンは、修行でナナと組み手をするときは、ナナが怪我をしないように修業用の木製の剣を使用する。
 何しろ、サフィンは剣術の使い手だが、ナナは格闘術の使い手だ。
 サフィンが真剣を使用したら、ナナが不利になってしまう。
 …とは言っても、サフィンはもちろん、ナナも相当の強者だ。
 格闘術のみで戦ったら、フレイアに引けを取らないぐらいは強い。
 なので、本当は、手加減が出来ないから、という理由が大きいのかも知れない。


 「ねえ、サフィン…フレイアが言ってたんだけど、昨日の夜、私の事探してたんだよね?」
 「え!?あ、ああ…」
 「昨日は月のことが気になって聞きそびれてたんだけど…多分、私が考えてるのと同じ事…だよね?」
 ナナの言葉に、サフィンはゆっくりと頷いた。
 「昼食の時のフレイアの表情が…気になって…さ」
 「やっぱり…私もね、フレイアが時々辛そうというか、寂しそうというか…そんな表情をするのは知ってたんだけど、昨日のは何だか少し違うな、って…」
 「何か、思いつめるような事でもあったのか…?」
 「判らないけど…」
 ナナは表情を曇らせ、視線を少し下へ移した。
 …ちなみに、ここまでのやり取りは全て組み手をしながらのものである。
 組み手といってもウォーミングアップ程度のものなので、二人が会話をするのには十分なのだ。
 「…何だか、私、昨日の夜から胸がざわざわして…」
 言うと、ナナは動きを止めた。
 直後、サフィンも動きを止め、ナナの方を見る。
 ナナは胸元に手をやり、表情を曇らせたまま俯いていた。
 それを見て、サフィンは浅くため息をつく。
 サフィンはナナの傍まで歩み寄ると、ぽん、と、ナナの頭に右手を乗せた。
 「サフィン…?」
 ゆっくりと、ナナはサフィンを見上げた。
 「あんまり考え過ぎるなよ。もし何かあったら…フレイアから言ってくるだろうし」
 「…うん…そう、だよね…」
 そう言って微笑んだナナの表情は、まだ不安を拭い去れていないようだった。
 サフィンは大袈裟にため息をついてみせると、ナナの頭を二回、軽く叩く。
 「大体、あんまり悩み過ぎると身長伸びないぞ」
 「な…っ!身長は関係ないでしょ!!」
 ドカッ!
 台詞を言い終わるや否や、ナナはサフィンのみぞ落ちに思い切りパンチをぶちかました。
 サフィンは十数メートル吹っ飛び、声もなく崩れ落ちる。
 「全く、いつもそうやってからかって!」
 ナナは顔を赤くし、頬を膨らませた。
 しかし、実際、ナナの身長は150センチ代前半で、サフィンとの身長差は20センチ以上はある。
 からかわれる種としては十分だ。
 「…み…見事に決まったな…」
 言いながら、サフィンはふらふらと立ち上がった。
 「当たり前でしょ!からかう方が悪い!」
 全くもう、と、ナナは腕を組んで子供のように怒り、そっぽを向いた。
 それを見てサフィンはくすくすと笑い、ナナの背に向かって微笑んだ。
 が、すぐに表情を曇らせる。
 ナナにはああ言ったが、サフィンも昨晩からずっと嫌な予感がつきまとっていたのだ。
 (フレイアは…何か、知ってるのか…?)
 心の中でそう呟くと、サフィンは、ロサ・ガリカのある方向へ視線を移した。





 里の外れの家の中で、フレイアは一人佇み、自分の右の掌を見つめていた。
 手の中には、ナナが愛用しているものと同じ、両端に飾り石の付いた結い紐があった。
 もう、十年近く前になる。
 ナナとサフィンをつれ、初めて里を出て近くの街まで買い物に出掛けた時の事だ。
 それまで里を出たことがなかったせいか、二人…特にナナははしゃぎ回り、散々、色々な店を回らさせられた。
 しかし、散々回ったのにも関わらず結局気に入ったものが無かったようでそろそろ帰ることにしたのだが、その前に、フレイアが目的としていた雑貨店へ立ち寄った。
 元々フレイアは、この雑貨店に他の大陸の薬草が入荷したというのでそれを求めに来ていたのだ。
 フレイアがカウンターで店員から薬草の説明を受けていると、ナナが何かを持って来て、これを買って欲しいと差し出してきた。
 それが、この結い紐だった。
 しかも、フレイアの分もと言って三本も差し出してきたのだ。
 フレイアは自分の分はいらないからと言ったのだが、フレイアとお揃いでないと嫌だと駄々をこねられ、結局、買うことになった。
 …そんな事を思い出しながら、フレイアはひとり微笑み、結い紐で髪をひとつに結んだ。
 結び終えると、愛用の剣を手にし、瞳を閉じ、大きく深呼吸をする。
 そして、ゆっくりと瞳を開く。
 瞳を開いたフレイアの表情には先程までの優しさは無く、厳しさと、冷たさと…どことなく、哀しさをを含んだものになっていた。
 厳しい表情のまま、フレイアは修行場の方へ足を進めた。





 「あ、来たよ」
 組み手を再開していたナナとサフィンは、ことらへ歩いてくるフレイアの姿を確認すると、動きを止めた。
 「よ、お待たせ」
 歩み寄りながら、フレイアは片手を軽く挙げる。
 「早かったな」
 「あら?もっと二人きりでいたかった?悪いわねぇ」
 「なっ!違…」
 「?」
 笑いながら、いつもの調子で、フレイアはサフィンをからかった。
 だが、すぐに厳しい表情になる。
 「…どうしたの?フレイア…」
 フレイアの表情を見て、眉をひそめてナナが尋ねてきた。
 「…ちょとね…大事な話がある」
 そこまで言い、一旦言葉を切る。
 「…あんた達、里を出なさい」
 「!?」
 突然の話に、ナナとサフィンは驚きを隠せなかった。
 「何だよ、突然…」
 「どういうことなの?」
 質問には答えずに、フレイアは腰に下げていた二つの袋を外し、一つずつ、二人に渡した。
 「旅に必要なものは大体その袋に入ってる筈だよ。そうだね…まず、里を出たらシルバラードの森へ入るといい」
 「フレイア…」
 「シルバラードの森の奥深くに、リーガルという里がある。そこに…」
 「フレイア!!」
 二人を無視して話を進めるフレイアの言葉を、サフィンが大声で遮った。
 フレイアの言葉が止まると、サフィンは一歩、前へ出る。
 「里を出ろって言うなら、出るよ。でも、突然言われても…相応の理由を聞かせてもらわないと、納得できない」
 フレイアは二人から視線を外した。
 「…フレイア…?」
 「…今はまだ、話せる時じゃない。とにかく、リーガルへ向かって、そこである人物に会って欲しい」
 「フレイアは…一緒には行かないの…?」
 「…二人で行くんだ」
 言うと、フレイアは黙り込んだ。
 二人もそれ以上口を開かなかった。
 …辺りに、しばしの沈黙が流れた。





 午前六時二十分。
 ロサ・ガリカに来訪者が訪れた。
 来訪者は三人連れで、二人が男性、一人が女性だ。
 フレイア達以来外部からの来訪者のなかったロサ・ガリカにとって、この三人は嫌でも目を引く存在だった。
 しかも、容姿も見慣れないものだ。
 三人とも王族が着るような服をまとい、金色の長髪の男性を先頭に、黒髪の男性と赤い髪の女性がすぐ後ろに並んで歩いている。
 何より、里の者達にとって一番見慣れないのは、後ろを歩いている二人の瞳だ。
 二人の瞳は鋭く、まるで、魔物か何かのようだった。
 里の中程まで進むと、三人は立ち止まった。
 「少し、お伺いしますが…」
 「は、はい!?」
 突然話し掛けられ、里の住人の男性は一瞬身体を強張らせる。
 「ああ、突然話し掛けてしまって、申し訳ありません。驚かせてしまいましたね」
 そう言って、先頭の金髪の男性は柔らかく微笑んでみせた。
 「い、いえ…」
 その微笑みは、里の男性に悪い印象は与えなかったようだ。
 「ここに、『フレイア』という方はいらっしゃいますか?」
 「ああ、フレイア達なら…今の時間なら、森の奥の崖の辺りにいる筈ですが」
 いいながら、里の男性は森の方を指差した。
 「そうですか。ありがとうございます」
 金髪の男性は再び柔らかく笑ってみせると、里の男性の指差した方向へゆっくりと歩いていった。





 「…判った」
 修行場の長い沈黙を最初に破ったのは、ナナだった。
 「…ナナ…」
 ゆっくりと、サフィンとフレイアはナナの方へ視線を移した。
 「その、リーガルの里へ行けば…判るんだよね?」
 ナナは少し首を傾け、微笑んでみせた。
 「でも、今すぐっていうのも急だから…里の人達に挨拶もしたいし、出発するのは明日でいいよね?」
 「ああ、いいよ…済まないね、二人とも…」
 そう言って、フレイアは俯いた。
 ナナはサフィンの方を見て、「ね?」と笑い掛ける。
 サフィンは頭に手をやり、「仕方ないな…」とため息をついた。
 次の瞬間。
 フレイアが突然顔を上げ、ばっと後ろを振り返る。
 驚いて、ナナとサフィンもフレイアの視線の先を見た。
 すると、奥の方からゆっくりと人影が近付いて来るのが見えた。
 人影は三人組で、赤い髪の女性、黒髪の男性…そして、金色の長髪の男性だった。
 三人の姿を確認すると、フレイアは愛用の剣を正面に構えた。
 「…来やがったか…」
 低い、低い声で、フレイアは呟く。
 鋭い瞳で三人組を睨み付けるフレイアの頬を、一筋、冷や汗が伝った。


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