the past 誓い−3

 四人がシルバラードの森を出発してから三日が過ぎた。
 出発した位置からロサ・ガリカまでは、絶壁のような崖に阻まれている為、回り道になる。
 しかし、三日以上はかからない道程の筈だった。



 「おかしいわね…」
 魔術の炎で焼かれ、まだ煙が上がっている魔物の死体を見下ろしながら、サリサは呟いた。
 それは、四人全員が心の中で呟いている疑問でもあった。
 「確かに、おかしいな」
 サフィンも続けて呟く。
 三日以上経つのに四人がロサ・ガリカに着かない理由。
 それは、次から次へと魔物に遭遇していた為だ。
 時には単体で、時には群れで、魔物は次々と四人に襲い掛かってきた。
 元々、この辺りはそれ程多くの魔物が生息する土地ではないし、それ程凶暴な魔物もいない筈だった。
 狼を一回り大きくしたような魔物、グレイ・ウルフや、蟻が巨大化したような魔物、クリムゾンがせいぜいといったところだ。
 しかし四人は、冬にしかかつどうしない筈のウインター・ウルフや、本来なら岩場などに生息している筈のブロンズ・ゴーレムなどに遭遇し、襲われていた。
 サリサの足許に倒れ事切れている魔物も、ヘルハウンドと呼ばれる獰猛な魔物で、別の大陸の一部の地域にしか生息していない筈だ。
 「魔物達の生態系が、狂ってるわ」
 サリサの言葉に、三人は頷いた。
 「しかも、数も急に増えたよね…どういうことなのかな…?」
 ナナは眉をひそめ、不安そうな表情をしている。
 サリサは腕を組み、魔物達の異変について論議しているナナとサフィンを見た。
 (この様子だと…本当に、『フレイア』については何も聞かされてないみたいね……)
 サリサが考え込んでいると、キリトが密かに耳打ちしてきた。
 「なあ、サリサ…あの二人、本当にフレイアの弟子なのか?それにしては、何も知らないみたいだけど」
 「…多分、間違いないと思うわ。フレイアからの手紙に書いてあった特長にピッタリだし…何より、技の体系が…フレイアのものにそっくりだもの」
 言うと、サリサは二人に向けていた視線をキリトへ移した。
 「あんたは、『フレイア』についてどこまで知ってんの?」
 「…一般化されてる伝承にちょっと色付けたくらいのもんだよ。まあ、伝承を知ってる人の方が少ないけどな」
 「まあ、そうよね。知ってても、お伽話くらいにしか思ってない奴の方が多いしね」
 「…俺の里も、一応、フレイアに縁のある所だしな」
 キリトは二人へと視線を移す。
 感情の読めない表情で二人を見るキリトの横顔を、サリサはじっと見据えた。
 「…あんた、本当は何で付いてきたのよ」
 サリサが言うと、キリトはサリサに視線を戻し、道化師めいた笑みを浮かべた。
 「それはもちろん、愛しのサリサをお守りする為ですよ」
 「…ふん、よく言うわ」
 キリトは手の甲に口づけようとサリサの手を取るが、サリサは怪訝そうな表情でキリトの手を振り払い、二人の方へ向かった。
 キリトは大袈裟に肩をすくめ、首を左右に振る。
 サリサが近付いてきたことに気付き、二人はサリサの方を向いた。
 「あと少しでロサ・ガリカに着くわ。急ぎましょう」
 サリサの言葉に、ナナが、次いでサフィンが、浅く頷く。
 あと一キロ程先に、ロサ・ガリカはある。
 四人は再び足を進めた。







 細い道を抜け、木が少なくなってくると、開けた場所がある。
 そこには、いつもの風景が…
 …のどかなロサ・ガリカの風景が、広がっている筈だった。
 ――筈だった、のに……



 「なに…これ…」
 目の前に広がる光景を見て、ナナは言葉を失った。
 一歩遅れてその光景を目にした三人も、同様の反応を示す。
 そこには、さながら戦争の跡地のような、悲惨な光景が広がっていた。
 元のロサ・ガリカの面影など微塵もなく、家は殆どが崩壊して瓦礫と化している。
 道々には里の者達の死体が転がっており、時折黒い鳥が降りてきてその死肉を食らっていた。
 ナナは口許を両手で覆い、身体を震わせ、サフィンは目を見開いて里の方を見たまま固まり、微塵たりとも動かない。
 サリサとキリトも眉を寄せ、思わずその光景から目を逸らした。
 「酷い…」
 サリサが呟いたのと同時に、ナナがふらふらと里の中へ入っていく。
 サフィンもその後へ続く。
 サリサとキリトは、悲痛な面持ちで二人の後ろ姿を見送った。
 「…まさかとは思ったけど…こんな事になってるとは…思わなかったわ…」
 二人の姿が見えなくなると、サリサは眉を寄せ、口を引き結ぶ。
 すると、キリトがサリサの肩にそっと手を添えてきた。
 「…ともかく、しばらくは二人きりにしてやろう」
 「…ええ…」
 サリサは顔を上げると、二人が消えていった方向へと視線を移した。





 全てが、崩壊していた。
 家も、畑も、人々も…のどかで、平和だった筈の生活も――…
 ……入り口近くの小川。
 ここでは、いつも数人のおばさんが他愛もない世間話に花を咲かせながら洗濯をしていた。
 二人が修行の帰りや見回りの時に近くを通ると、「お疲れさん」とか、「今日もいい天気だね」とか、「晩ご飯は何を食べるの?」とか、元気良く話し掛けてくれた。
 ――今は、川べりに数人のおばさんの死体が転がり、洗う予定だったのであろう服が散乱している。
 ……里の中心の広場。
 ここを通ると、いつも子供達のはしゃぎ声が聞こえていた。
 子供達は鬼ごっこやかくれんぼなどをして遊んでいるが、時折二人が通ったことに気付くと、元気よく駆け寄ってきて、「一緒に遊ぼう」「今度、剣術を教えて」などとねだってきた。
 ――今は、子供達は力なく広場に転がっており、柔らかい死肉を求める烏や狼によって、その小さい身体は引き裂かれ、食い荒らされている。
 ……ゆるい上り坂に入る、少し手前の道。
 ここには、いつも世話を焼いてくれていた、モリスの家があった。
 ――しかし、モリスの家は崩れ、モリス自身は瓦礫の下敷きになり、事切れている。
 これから、ナナ達の家に向かう所だったのであろう。
 モリスの近くには、野菜を入れる為の籠と、未だ鮮度を保っている野菜が幾つも転がっていた。
 ……ゆるい坂を上った所。
 ここには、ナナと、サフィンと、フレイアが暮らしていた家がある筈だった。
 ――しかし、家は崩れ去っており、もはやその原型を止めてはいなかった。
 ナナとサフィンは無言のまま里中を歩いた。
 ロサ・ガリカのひとつひとつを、確かめるように。
 里中を歩き終えると、二人は、プラチナの森の崖の上に向かうことにした。
 確かめたくないけれど、確かめなければならないもの。
 ……それを、確かめる為に。





 崖の上には、まるで墓標のように一本の剣が突き刺さっていた。
 それは、フレイアが愛用していた剣だった。
 そして、そのすぐ近くに、焼けて半分以上が無くなっている、ナナの愛用しているものと同じ結い紐が、落ちていた。
 ナナは剣の前に歩み寄りひざまづくと、結い紐を拾い上げ、ゆっくりと立ち上がった。
 結い紐は茶色の革製なので良くは判らないが、血が滲んでいる。
 その血が誰のものなのかは、想像したくもなかった。
 ナナとサフィンは向かい合う形で立ち尽くし、ナナの手の上の結い紐に視線を落とした。
 「…全部、壊れちゃったね…」
 ナナが、小声で呟く。
 その声は、僅かに震えていた。
 「どうして、こんな事に…」
 ナナが言葉を紡ぐのと共に、ぽつ、ぽつとナナの手の平に水滴が落ちてくる。
 水滴は、ナナの山葡萄色の瞳からこぼれ落ちていた。
 「……どうして…!!」
 押し寄せてくる感情に耐え切れなくなったのだろう。
 ナナは手の中の結い紐を握り締め、表情を歪ませると、サフィンにしがみついて胸元に顔を埋めた。
 小さな身体が、小刻みに震えている。
 声を押し殺して泣いているのであろう。
 サフィンはナナの頭と背中に添えた手に力を込めた。
 いつしかサフィンの表情も悲しみに歪み、その瞳から熱いものが零れ落ちる。
 二人はしばしの間その場に立ち尽くし、只々涙を流し続けていた。





 サリサとキリトは、少し離れた場所で二人の様子を見ていた。
 「やっぱり、死んだのね…フレイアは」
 サリサは目を伏せると、俯いて顔を左右に振った。
 「伝承の通りだな…統治者を失った世界の均衡は崩れ、魔の者達の手に落ちてゆく…か…」
 二人から視線を外さないまま、キリトは静かに呟いた。
 「…大変なことになるわ…これから…」
 「サリサ…俺に出来ることがあるなら、力を貸すから」
 その言葉にサリサは瞳を開き、ゆっくりとキリトの方へ視線を移した。
 「…ありがと…」
 そう言って微笑んだサリサの表情は、痛々しい程の悲しみに彩られていた。
 サリサはすぐさま表情から笑みを消し、再び俯く。
 眉を寄せて、瞳を固く閉じて。
 何か、押し寄せてくるものに耐えているようだった。
 サリサは俯いたままキリトの傍へ寄り、キリトの肩に額を軽く当てた。
 「…ごめん。ちょっと、肩貸して…」
 そう言ったまま、サリサはしばらく口を開かなかった。
 キリトは、サリサの頭にそっと手を添えた。

 四人の傍を、春にしては冷たい風が、通り過ぎていった……


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