取った部屋に荷物を置き鍵を掛けると、四人は宿を出て大通りへと出た。
昼が近いせいか、大通りは到着した頃よりも更に賑わいを見せている。
しかし、四人の目的は別な場所だった。
サリサを先頭とし、陳列する商品には目もくれずに進んでいく。
しばらく進むとサリサは立ち止まり、建物と建物の間の狭い道を指差した。
「こっちよ」
そこは、大通りと隣接しているのにも関わらずまるで別世界のように静まり返っており、陽が当たらないせいか薄暗く、少し肌寒かった。
四人は徐々に大通りの喧騒から遠ざかっていく。
しばらく歩き喧騒も聞こえなくなると、開けた場所に出た。
その場所は建物に囲まれ、今しがた通ってきた道からしか出入り出来ないようだった。
まるで他所から隔離されたかのような空間。
そんな広場のような空間の真ん中に、一軒の石造りの壁の建物があった。
ナナとサフィンは不思議な感覚に呆気に取られていたが、サリサとキリトは臆することなくその建物の中に入っていく。
ナナとサフィンは慌ててその後に続いた。
中に入ると、目の前に降りる階段があった。
…というより、階段しか無かったと言った方が正しい。
一辺二メートル程の正方形の空間の丁度真ん中に、不自然にある階段。
再びサリサを先頭に、四人は階段を降りていく。
降りた場所には、本で埋め尽くされている雑然とした部屋があった。
実際は広い部屋なのだろうが、本棚が所狭しと並んでいるうえに本棚に入りきらない本が通路にまで重ねてある為、余計に狭く感じる。
「ちょっと、バアさん!いるの!?」
本を倒さないようにして進みながら、サリサが声を上げる。
すると、奥の方からギィ、と何かが軋むような音が聞こえた。
「アタシに向かってバアさんとは失礼な奴だね。情報料3倍にハネ上げるよ」
「70過ぎてれば誰だってバアさんでしょ」
悪態をつきながら、サリサは声のする方へと進んでいく。
声の主は、入り口から一番遠い位置にある椅子に腰掛け、机の上に足を投げ出して分厚い本を広げていた。
白髪を高い位置で一つにくくり、金縁の片眼鏡を掛けた老婆だった。
「アタシのことは『バアさん』でなくて名前で呼んどくれ。アタシはあの名前が気に入ってるんだ」
「判ったわ、スカーレット」
「うん。それでいい」
四人が目の前まで歩み寄ると、老婆はようやく本から目を離し、顔を上げた。
とても七十を過ぎているとは思えない、凛とした顔立ちだった。
「久しいね、サリサ。それに、キリトも……そっちの二人は新顔だね。名は何てんだい?」
言いながら、老婆は本を閉じ、机の上に重ねてある本の上に置いた。
本は今にも崩れそうなほど重ねられているが、器用にバランスを取っている。
「私はナナ」
「サフィンです」
二人が軽く挨拶をすると、老婆は口の端を上げるようにして笑った。
「聞いてのとおり、アタシの名はスカーレットだ。もうかれこれ50年以上も情報屋をやってる。情報量だけなら誰にも負けない自身があるよ」
「口達者なのも誰にも負けないでしょ」
スカーレットの言葉に、サリサが横槍を入れる。
「あら、アンタには負けるよ」
そう言うと、スカーレットは机の上に投げ出していた足を床に下ろした。
スカーレットの動きにあわせて、ギィ、ギィ、と椅子が軋んだ音を上げる。
「で?本日はどんな情報をお求めだい?」
「歴代フレイアが行使してきた、ファーゼイスの封印法についてよ」
スカーレットの問いに、サリサは即答した。
「高いよ」
「不足分はこちらも情報提供するってことでどう?」
「……まあ、いいだろう」
ゆっくりと目を伏せると、スカーレットは立ち上がった。
「取り憑かれた者から取り憑いた者の魂を引き離す術と、その魂を大地に封印する術がある。代々『フレイア』を継承する者の記憶にのみ伝えられてきた、『フレイア』しか知ることのない幻の術だ。アタシは術の内容は知らないが…」
スカーレットは目を開きながら言葉を紡いでいたが、四人の方を見ると言葉を切った。
四人の表情が強張り、冷や汗を流していたからだ。
「そんな…」
胸元で拳を作り、ナナが呟く。
「じゃあ、ファーゼイスを封印するのは無理ってことなの…?」
「…どういうことだい?」
サリサの言葉に、スカーレットは表情を曇らせた。
サリサは顔だけ振り返り後ろにいる三人と顔を見合わせると、ゆっくりとスカーレットに向き直って口を開いた。
「あたしがこんな情報を求めてるってことは、どういう事が起きているのか察しはつくわよね?」
「…今、世界は大地の精気が弱まる時期を迎えている。ファーゼイスが復活したんだろう?」
「そう。そして、もうこの世にはファーゼイスに対抗しうる術が無いのよ」
「……まさか…!」
スカーレットの表情が、徐々に驚愕のものへと変わっていく。
「ファーゼイスは復活している。でも、フレイアは…もう、この世には存在しないのよ」
サリサは眉をしかめ、俯いた。
ナナも、サフィンも、キリトも、表情を曇らせている。
「…何てことだ…」
スカーレットは頭に手をやり、倒れるようにして椅子に座った。
「アタシはてっきりアンタが『フレイア』を継承したモンだと思ってたよ」
「あたしが受け継いだのは、魔術だけだもの」
自嘲するようにして、サリサは笑った。
重い雰囲気が流れる。
しかし、その雰囲気を打ち破るようにして、ナナが一歩前へ出た。
「あのっ…」
全員がナナに視線を移す。
「他に、何か方法はないんですか…?」
「…アンタも、フレイアと何か関わりが?」
スカーレットの問いに、ナナは頷いた。
「私は…私とサフィンは、フレイアに育てられました。でも、ある日、レグルス…ファーゼイスが現れて…私とサフィンを庇って、フレイアはひとりファーゼイスと戦いました。そして…」
そこまで言うと、ナナは俯いた。
その先にくる言葉を、紡ぎたくなかったのだ。
数秒、ナナは俯いていたが、きっとした表情を作り、顔を上げる。
「…だから、もし私に出来ることがあるのなら…頑張ってみたいの」
スカーレットは無言のままナナを見る。
透き通るような山葡萄色の瞳は、真っすぐにスカーレットを見ていた。
しばしの間その眼差しと向き合ってから、今度はサフィンの方を見る。
ふと、腰に下がっている剣に目が止まった。
「その剣は…フレイアの剣だね」
「はい」
スカーレットの問いに、サフィンは凛とした声で答えた。
スカーレットは目を細めると、口の端を笑わせた。
…何だい。
名を継ぐ者はいなくても、意志を継ぐ者は、ちゃあんといるじゃないか。
「ヴァリアの森の中に、大地母神を奉っている神殿がある。まぁ、外見は鐘会に近いんだが…その神殿の神官に、代々フレイアについての知識が受け継がれてきたって話だ」
「じゃあ、そこに行けば…!」
ナナの表情がぱっと明るくなる。
スカーレットはゆっくりと頷いた。
「ありがと、スカーレット。情報料は…」
「金は要らない」
サリサは小さな布袋からお金を出そうとしたが、スカーレットの言葉でその手を止め、きょとんとしてスカーレットを見た。
「金は要らないって…」
「いいんだよ。こっちも情報を与えたが、そっちからも色々と聞かせてもらったからね。等価交換ってやつだ」
スカーレットは悪戯っぽい笑みを作る。
それを見て、サリサも微笑んだ。
「判ったわ。ありがと」
一通り別れの挨拶を交わすと、四人は椅子に腰掛けたままのスカーレットに手を振りながら立ち去った。
立ち去り際、スカーレットは四人に向かって「また来るんだよ」と声を掛けた。
四人は、その言葉に笑顔で答えた。
「ヴァリアの森の神殿…ね」
「流石の俺もヴァリアの森の奥までは行ったこと無かったなー」
「あたしも無いわよ。大体、あんなところに好んで行く奴なんていないわ」
「どんな所なの?」
好んで行く奴なんていない…と言う言葉が引っ掛かったのだろう。
ナナは不思議そうに首を傾け、サリサとキリトの会話に入ってきた。
「あの辺りは、フレイアによって均衡が保たれている時でも凶暴な魔物が多く生息する土地なの」
サリサはぴっと人差し指を立てて答える。
この頃、四人は既に大通りを歩いていた。
「色々と準備が必要ね。まずは…」
サリサはひとつひとつ必要なものの名を挙げていく。
ナナはそれを聞いていたが、ふと視界に光のようなものが入り、そちらに視線を移した。
視線の先には、長い銀の髪の女性と、深い蒼色の髪の男性が立っていた。
ナナが見た光は、女性の髪に反射した太陽光だったのだ。
二人は、じっとナナの方を見ているようだった。
その視線に、ナナは戸惑う。
すると、ナナが戸惑っているのに気付いたのか、女性が柔らかく微笑んだ。
女性でもうっとりしてしまいそうな、優しく、神々しささえ感じさせる微笑み。
どのようの反応したら良いのか判らず、ナナはとりあえず笑みを返した。
「ナナ、どうした?」
サフィンの言葉でナナははっとし、サフィンの方を見た。
サリサとキリトも不思議そうな表情でナナを見ている。
「あ、あのね、今…」
ナナは再び先程まで見ていた位置に視線を移す。
しかし、そこには既に女性と男性の姿は無かった。
「あれ…?」
ナナは首をかしげる。
確かに、先程までそこに居た筈なのだが…
「本当に、どうしたんだ?」
心配そうに尋ねてくるサフィンに、心配を掛けまいとナナは笑顔を向けた。
「ううん、何でもないの!買い物、行こっ!」
その言葉で再び足を進めると、四人は買い物を始めることにした。
先程の女性と男性は…ソフィアとシセルは、そんな四人の後ろ姿を、静かに見つめていた…
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