(不思議な人だったな…)
取った部屋の窓からぼんやりと外を眺めながら、ナナは数時間前のことを思い出していた。
大通りで見かけた二人組み。
ずっとこちらを見ていたようだった。
偶然だったのかもしれないが、ナナはそのことが気になって頭から離れなかった。
一つ、小さなため息を漏らす。
時刻はもう夕方を過ぎており、陽もだいぶ落ちかけていた。
窓から見えるとおりの人足も、大通りでないとはいえだいぶ減ってきている。
伏せ目がちになりながらまた一つ小さくため息をつくと、背後で扉の開く音がした。
ナナは振り返る。
入ってきたのは、藤色の髪を肩の辺りで切りそろえた美しい女性だった。
「サリサ…」
「一回で食事もできるみたいよ。そろそろいい時間だし、行きましょ」
「うん」
二人は部屋を出て一階へ降りる。
階段を降りて左へしばらく行くと、広くて賑やかな場所へ出た。
飲食店も兼ねている宿なのだろう。
そこには宿泊客だけでなく、他の客も大勢入っていた。
「そういえば、サフィンとキリトは?」
「先に言っておいたから、多分席を取って待ってると思うんだけど…あ、いたわ」
サリサの視線の先を見ると、奥の壁際の四人席に座ったキリトがこちらに向かって手招きをしているのが見えた。
隣にはサフィンも座っている。
「あいつら、顔が良いから目立つわね」
言いながら、奥へと進んでいく。
見ると、特に若い女性客が二人の方をちらちらと盗み見ているのが分かった。
ナナとサリサは二人の正面の席に着くと、キリトにメニューを手渡された。
「流石はサリサだな。男性客の目を奪ってた」
キリトの言葉で辺りを見ると、成る程、男性客までこちらを盗み見ている。
「あたしじゃなくてナナを見てたんじゃないの?ねぇ、サフィン?」
突然話を振られ、サフィンは困惑すると共に顔を赤くした。
「い、いや、あの…」
サフィンの様子を見て、サリサとキリトはからかうようにして笑った。
ナナは、というと、意味が判らずに不思議そうな顔をして首をかしげている。
そうこうしているうちに、四人の席に従業員の服を着た若い男性が注文を聞きに来たので、四人はそれぞれ思うものを注文する。
注文している間も従業員がサリサを盗み見ているのが分かった。
注文してしばらく経つと、テーブルにグラスが四つとワインが一本運ばれてきた。
ワインはサリサが注文したものだが、グラスは四つ頼んだ覚えは無い。
「グラスが…」
「店員が気を利かせてくれたのね。折角だから飲む?」
言いながら、サリサはナナにグラスを勧めるが、ナナは冷や汗をかきながら首を思いきり横に振り、力一杯否定した。
「い、いらない!!」
「そ、そう…」
ナナの否定っぷりに疑問を感じつつ、自分のグラスに、キリトのグラスに、サリサはワインを注いでいく。
「サフィンは?」
サリサはサフィンの方に瓶の口を向ける。
「じゃあ、少し…」
サフィンは自分のグラスに手を掛け、サリサの方に差し出そうとした。
しかし、ナナが勢い良く立ち上がったのに驚いたことでその行動は阻止される。
顔を見ると、明らかに怯えきった表情をしていた。
「ナナ、どうし…」
「駄目っ!!」
サリサの問い掛けは、ナナの大声に遮られた。
「絶対に駄目っ!!サフィンにお酒を飲ませちゃ駄目っ!!」
顔を左右に振りながら、ナナは必死に訴えかける。
「わ…判ったわ…」
あまりの勢いに、サリサはそう答えざるを得なかった。
当のサフィンも訳が分からないという表情をしている。
ナナはほっとして腰を下ろす。
丁度その頃、幾つかの料理を従業員が運んできた。
テーブルに置かれたそれを見て、ナナは目を輝かせる。
「おいしそう…」
「こういう店で食べるのは初めてなの?」
サリサの問いに、ナナは首を縦に振る。
「普段は何食べてたのよ」
「えっと…サフィンが作った料理」
それを聞いてサリサとキリトは小さく吹き出し、サフィンの方を見る。
サフィンは妙に真剣な顔で運ばれてきた料理(茄子とトマトのドリアらしきもの)を食べたり覗き込んだりつついたりしていた。
少し異様な光景だ。
「あ…あの、サフィン君…?何やってんの…?」
恐る恐るサリサが尋ねると、サフィンはふと顔を上げた。
「あぁ、こういうの作ったことないから、味を覚えておこうと思って」
「そ、そうなの…」
後で作るのか、などとサリサが考えていると、ナナが隣で料理を食べながら「サフィンの作ったやつの方がおいしいな」と呟いた。
少しして、ようやくテーブルに注文した料理が運ばれ終えた。
四人は談笑しながら食事を楽しむ。
「サリサって、お酒強いの?」
グラスを煽っているサリサに向かって、ナナがふと尋ねる。
「ん?まあね」
「そういえば、何度か一緒に飲んだことはあるけど、サリサが酔ったところって見たことないな」
二人の会話にキリトも参加してくる。
「それを言うなら、あんたが酔ったところも見たことないわよ」
「そうだっけ?」
「まあ、あんたの場合は普段が酔っ払ってるようなモンだけどね」
「サリサに酔ってるんだよ」
「黙れ」
一瞬、辺りの空気が緊迫した。
ナナとサフィンの額から一筋冷や汗が伝う。
「そういえば、ナナはお酒駄目なの?」
「え!?」
突然話を振られたにしては大袈裟に、ナナは驚いた。
「い、以前、フレイアに無理矢理飲まされたことがあって…」
そこまで言って一度言葉を切ると、ナナは恥ずかしそうに顔を逸らす。
「…その時、気持悪くなって…3日間寝込んだの…」
「そ、そうなの…じゃあ、飲まない方がいいわね」
そう言うと、サリサはふとサフィンの方を見る。
「じゃあ、どうしてサフィンにお酒を飲ませちゃいけないの?」
「そ!それは…」
ナナはびくりと身体を震わせ、先程のような怯えた表情を見せた。
「サフィン、何か心当たりは?」
「いや、特に…確かに、飲んだ時の記憶は無いけど」
ヤバいよ。
サリサとキリトは同時にそう思った。
ナナの怯えた表情から察するに、多分酔うと何かやらかすのだろう。
内容までは予想できないが。
(飲ませなくて正解だったのか…)
そう思い、サリサは話題を変えようとする。
しかしその時、何者かが四人のテーブルを強く叩いた。
四人は一斉にそちらに視線を向ける。
視線の先には、中年の男が三人立っていた。
酔っているのだろう、顔を赤くし、いやらしい笑みをこちらに向けている。
「何か用ですか?」
「姉ちゃん達、綺麗だからよぉ。ちょっとこっち来てお酌でもしてくれねぇかなと思ってよ」
ナナの問いに、テーブルに手を付いている男が答えた。
男の吐く息の臭いに、ナナは顔をしかめる。
こういう酔っ払いって未だに生息してんのね、と漏らしたのはサリサ。
男達のいやらしい笑みに対し、キリトは口の端を持ち上げた。
「悪いんだけどねぇ、オッサン。俺達今食べるの忙しくてそれどころじゃないのよ。恥かかないうちにお引き取り頂ける?」
軽い口調で言いながらも、目は笑っていない。
だが酔っている男達はその事に気付くことはなく、キリトを睨み付けて大声を張り上げた。
「うるっせぇな!!野郎に用はねぇんだ!!姉ちゃん、ちょっとこっち来な!!」
そう言って、男はナナの腕を掴み、引っ張る。
その光景に、店中の視線が集まった。
「痛っ!!」
強引に腕を引かれ、ナナは眉を寄せ、抵抗を試みる。
サフィン達も眉を寄せ、立ち上がった。
しかし。
「放し…てッ!!」
ナナの身体が軽く宙に浮いたと思うと、腕を掴んでいた男が突然吹き飛んだ。
男はテーブルとテーブルの間の通路を真っすぐに進み、壁に激突して止まると、白目をむいてがっくりとうなだれた。
ナナは軽々と着地し、うなだれている男を睨み付ける。
そう、男は、ナナの空中回し蹴りを後頭部に喰らい、吹き飛んだのだ。
小柄な少女が、大柄な男を蹴り飛ばす。
にわかには信じがたい光景に、店中があっけに取られ、静まり返った。
(あの男、死んでないでしょうね…?)
サリサは冷や汗を流し、そんなことを考える。
ふう、と大きく息を吐き、ナナは席に戻ろうとするが、数瞬後我にかえった残りの男二人が怒り、ナナに襲い掛かる。
「この女ァ!!」
拳を振り上げ男は直進してくるが、ナナはそれを難なくかわし、足を高く上げ、男の首元に掛けて床に叩き付け、うつ伏せに倒れた男の後ろ手を捻り上げる。
それと同時に、すぐ後ろに迫っていたもう一人の男の鳩尾にきつい蹴りを喰らわせる。
鳩尾に喰らった男は床に崩れ落ち、ダウン。
仕上げに後ろ手を捻りあげている男の首元に手刀を喰らわせ、気絶させる。
片が付くまで、わずか三秒だった。
「これでゆっくり食べれるね」
店中が静まり返る中、ナナはのんきに笑ってみせる。
その後、四人が店を出るまで誰もナナと目を合わせようとしなかったのは、言うまでもない。
|