「『フレイア』に…相応しき者…?」
訳が分からないといった風に、ナナが呟く。
「今現在、世界にはフレイアが存在しない。このままでは世界の均衡は崩れていくばかり…早急に、次のフレイアを立てなければならないわ」
ソフィアの言葉を聞き、ナナは目を瞬かせる。
まさか、という予感がよぎった。
ナナは言葉を紡ごうとするが、それは、サリサがナナの前に出てきたことで阻止される。
サリサは今まで見たことのない厳しい表情をしていた。
眉を寄せ、口を引き結び、睨むようにしてソフィアを見据えている。
その様子を見て、ナナだけでなく、サフィンもキリトも困惑しているようだった。
「この子をフレイアにするつもり…?」
「場合によっては」
サリサの問いに、ソフィアは短く答えた。
サリサもソフィアもそれ以上口は開かず、沈黙と緊迫した空気が流れる。
数分間その状態は続いたが、ソフィアの言葉が突然沈黙を破った。
「とりあえず…貴方達、ヴァリアの森の神殿を目指しているのでしょう?案内するわ。お話は神殿に着いてからにしましょう」
何故そのことを知っているのか、という疑問はこの際取り払う。
そんなことより、ナナにとってはサリサの様子の方が気になった。
「サリサ…」
ナナはサリサの腕にそっと手を添える。
サリサが振り返ると、心配そうなナナの表情が視界に飛び込んできた。
「…ごめん。気にしないで」
そう言ってサリサは微笑むが、その微笑みはどことなくぎこちなかった。
ナナの不安は益々募る。
その様子を横目で見て、キリトは息を吐きつつ口を開いた。
「…で?案内してもらうのはいいとして、あんた達、何で神殿のこと知ってる訳?」
「だって私、その神殿の神官ですもの」
キリトの問いに、ソフィアは微笑みながら答える。
…そういう事を聞いてる訳じゃないんですけど。
二人が神殿の関係者であるということくらいは、話の流れから容易に予想できることだ。
キリトが聞きたかったのは、何故神殿に向かうことを知っているのか、ということだったのだが。
内心で毒づきながら、キリトは目でもそう訴えてみる。
しかし、その視線に、ソフィアは笑みを返してくるだけだった。
視線から思考を読むことすら出来そうにない。
(意図的なんだか、天然なんだか…どちらにせよ、あなどれないな)
肩をすくめ小さくため息をつくと、キリトはソフィアの考えを読むことを諦めることにした。
「さて、それじゃあ、行きましょうか」
そう言うと、ソフィアは街の出口の方へと向かった。
シセルは無言のままその隣を歩く。
ナナ達は顔を見合わせると、二人の後へと続いた。
街を出て、十数分。
ナナ達は、ソフィアとシセルを先頭に広い道を歩いていた。
二人の後ろにはナナとサリサが歩き、最後尾にはサフィンとキリトがついている。
皆口数が少なく、足音だけがやけに響く。
「…信用していいのか?」
声を落とし、サフィンがキリトに話し掛けた。
キリトは一度サフィンを見て、先頭を歩く二人へと視線を移す。
「…さぁね。まあ、今はついて行ってみるしかないでしょ。でも…」
そこまで言うと、キリトは一旦言葉を切る。
「…もし、ガセだったり裏があったりしたらどうなるか…向こうさんだって、それなりの覚悟はできてんだろ」
先程までとは違う、怒気の込められた低い声。
サフィンがキリトの方を見ると、キリトは先頭の二人を睨み付けるようにして見ていた。
サフィンは背筋が凍り付くのを感じた。
出会った当初も思ったことだが、キリトは、一体どれ程の実力を秘めているというのだろうか。
サリサに聞けば判ることかもしれないが、サリサは街を出てからずっと何かを考え込んでいるようで、今は聞けるような状態ではなさそうだ。
ナナもサリサが心配のようで、隣を歩きながらしきりに目配せしている。
サフィンがキリトに視線を戻すと、キリトの表情は普段のものに戻っており、サフィンに向かって笑い掛けてきた。
「そういえば、サフィン、さっきあいつと戦ってる時、本気出してなかっただろ」
キリトの言葉にサフィンは「ああ」、と言ってシセルの方を見る。
「でも、それは向こうも同じだったと思うよ」
「まぁ、そうだろうね」
言いながら、キリトもシセルの方へと視線を移す。
すると、何故か先頭の二人が立ち止まった。
ナナ達が思わず警戒する中、ソフィアがゆっくりと振り返る。
その手には、どこから出したのか、バスケットが握られていた。
バスケットの中にはサンドイッチが綺麗に並べられている。
「朝食、まだでしょう?これを食べながら自己紹介でもしない?」
バスケットを胸の高さまで揚げ、ソフィアは微笑む。
あまりに突然かつ予想外の出来事に毒気を抜かれたナナ達は、ソフィアの言葉に従うことにした。
ナナ達が一通り自己紹介を終えると、今度はソフィア達が紹介を始めた。
「私はソフィア。で、こっちがシセル。宜しくね」
そう言ってソフィアは微笑むが、シセルは皆の方を見ようともしない。
「それから、先刻も言った通り、ヴァリアの森の神殿の神官で、主よ。シセルも一緒に神殿に住んでいるの」
「ふ、二人で!?」
ソフィアの言葉に、ナナは思わず声を上げる。
ソフィアは首を横に振った。
「いいえ、三人よ。神殿に行けばもう一人とも会えるわ」
ナナは何故か妙に安堵してソフィアから貰ったサンドイッチにかじりつく。
柔らかいパン生地にレタスやトマトなどの野菜とコショウを塗したベーコンが挟んであり、かなり美味しかった。
「これ、美味しいね。ソフィアさんが作ったの?」
「いいえ。私、料理苦手だもの。シセルが作ったのよ」
その答えに、流石にナナ達は吹き出す。
シセルは鋭い視線をこちらに向けてきたが、またすぐ前方に視線を戻した。
「…そんなものは、パンに具を挟めばいいだけだ」
低く、抑揚のない声でシセルは言い放つ。
「で、でも、こんなにおいしくは誰でもは作れないよ、ね」
「え!?ええ、そうね」
突然話を振られたにしては大袈裟に、サリサは答える。
向けられた笑みもどことなくぎこちない。
ナナの表情も再び心配そうなものに変わった。
その様子を見て、キリトは僅かに眉をひそめた。
当初の予定通り、森の入り口へは陽が落ち切る前に到着した。
安全そうな場所に火を起こし、皆でそれを囲み、傍らではサフィンが街で買っておいた食材を調理している。
しばしの間サリサは調理を手伝っているナナとサフィンを見ていたが、ゆっくりと立ち上がると皆に背を向けて歩き出した。
「サリサ、どこ行くの?」
「夕食が出来るまでには戻るから、心配しないで」
ナナの問いにサリサは振り向かずに答えると、再び歩みを進める。
その姿はやがて皆の視界から消えた。
ナナはサリサの姿が消えた辺りを心配そうに見ていたが、後ろから肩に手を置かれ、振り返る。
「キリト…」
「俺が様子を見てくるから」
その言葉にナナが頷くと、キリトはサリサの消えた方へと歩いていった。
「どうすればいい…?」
皆から離れ、森に少し入ったところの木に寄り掛かったサリサは、手に握られたものを見てそう呟いた。
フレイアが死去する少し前に、本人から受け取った手紙だ。
手紙には、これから世界に起こるであろうことと、ナナとサフィンのことはサリサに託すという内容が綴られている。
それから、最悪の場合…もし、フレイアの身に何かあった場合、サリサがどうすべきかということも。
「最悪の場合、来ちゃったじゃないのよ…」
サリサは木に背中を押し付けたまま、力なく地面に座り込んだ。
手紙のある一文をじっと見つめ、今にも泣き出しそうな表情をしている。
程なくして、サリサは耐え切れなくなったかのように手紙をしまい込むと、折り曲げた膝に額を当てて身を縮めた。
すると、背後に何者かの気配を感じ取る。
「キリト…?」
身を縮めたまま、力なく口を開く。
「あ、バレた?これも俺に対する愛があるからこそ成せる業だな」
「…馬鹿言ってんじゃないわよ」
言い返すものの、いつものような覇気がない。
キリトは小さく息を吐き、サリサの隣にしゃがみ込んだ。
「…フレイアに貰った手紙のことで悩んでた…?」
「…何で判るのよ」
「俺の愛をナメちゃいけないよ。サリサが時々手紙を見て考え込んでるの、見てたからな」
「単なる覗きじゃないの」
そう言うと、サリサは一層身を縮める。
声も、身体も…少し、震えていた。
「サリサ…一人で考えるのが耐え切れないんだったら、皆に頼ってもいいと思うよ。正直、今のサリサは…心配で仕方ない。ナナも、サフィンも、そうだと思う」
「…ごめん。でも、あたし、自分が今どうすればいいか判ってないの。だから、もう少し…考えさせて…」
その言葉を聞き、キリトはサリサの頭を軽く二回叩く。
「無理はするなよ」
サリサは頷くと、ゆっくりと立ち上がった。
「…そろそろ戻らないと…また、心配掛けちゃうわね」
「ああ」
言いながら、キリトも立ち上がる。
二人は森を出ると、皆のいる方へと戻って行った。
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