the past フレイア−1

 室内には木製のテーブルと椅子が並べられており、奥はキッチンになっていた。
 キッチンでは既にティアが昼食の準備を進めている。
 「さ、どうぞ」
 ソフィアに勧められるまま、ナナ達は席に着く。
 テーブルは円形で、その場にいる全員が座るのに丁度良い大きさだった。
 「さて…何からお話ししましょうか」
 ナナの正面辺りの位置に座ると、ソフィアは小さく息を吐いた。
 ナナは少々緊張気味でソフィアを見ている。
 「そうね、それではまず、私達が何故貴方達を捜していたのかというところからお話ししましょう」
 そう言うと、ソフィアは少し俯き、伏せ目がちになった。

 この神殿…天上人の聖域セレスティアルは、代々フレイアについての知識と見届け人としての役目を受け継ぐ者達の住まう場所だ。
 今代、役目を負う者はソフィア。
 フレイアの状態を常に察知することの出来るソフィアは、ある日、フレイアの『気』が突然途絶えたのを感じ取る。
 フレイアは、死ぬ前に必ず後継者にその名を継がせるもの。
 継がれた瞬間、一時的に気が弱まることはあれども、途絶えるというのは異例の事態だった。
 ソフィアはすぐさまフレイアの気を探るが、やはり察知することが出来なかった。
 しかし、数日間探り続けた結果、ようやくフレイアに近しい気を察知する。
 それが、ナナだった。

 …ソフィアが言ったのは、このような内容だった。
 「昨日も言ったことだけれど、フレイアは世界の均衡を保つ者。フレイアが不在のままだと、均衡は崩れていくばかり…」
 そう言ってソフィアは顔を上げ、ナナを見据える。
 「だから、ナナ…私達は、早急に貴女にフレイアになって貰いたいの」
 ナナ達は静かにソフィアの言葉を聞いていた。
 ただ、サリサだけが一人浮かない顔をしている。
 「私が…フレイアに…」
 ナナが呟くと、ソフィアがゆっくりと首を縦に振った。
 「出来れば、今すぐに」
 真っすぐな眼差し。
 ナナはその眼差しに応えるように、ソフィアのレッドブラウンの瞳を見返す。
 答えは、既に決まっているようだった。
 ナナは答えを紡ごうと口を開きかける。
 しかし、サリサが突然立ち上がったことで言葉は遮られた。
 その場にいる全員がサリサの方へ視線を向ける。
 「ナナ…これはあくまでもあたし個人としての意見よ。あたしはナナがやりたいというなら止めやしないし、出来るだけ協力もするわ。でも…」
 サリサはそこで一度言葉を切り、俯いていた顔を上げてナナの方を見る。
 「でも、あたしは…ナナがフレイアになることには、反対よ」
 サリサの表情は凛としていたが、どことなく、悲しみを含んでいるようにも見えた。
 ナナはサリサの方を見て、ゆっくりと口を開く。
 「サリサ、ごめん。でも、私……私、フレイアになるよ」
 澄んだ、真っすぐな瞳。
 よく通る声。
 それは、まるでナナの強い意志を反映しているかのようだった。
 数秒間、全員が無言でナナを見る。
 ナナが一度言ったことは曲げない性格だと知っていたサフィンは、小さく息を吐き、微笑した。  諦めの念も込められていたのかも知れない。
 「サリサ…こうなったら、ナナは何を言っても聞かないよ」
 サフィンが言うと、サリサは再び俯き、ゆっくりと口を開く。
 「…判った、わ…」
 言いながら、サリサは静かに腰を下ろす。
 すると、ティアが出来上がった料理をテーブルに運んできた。
 「とりあえず、食えよ」
 サリサに向かって、そう言う。
 ティアも、ソフィアとシセルと共に育ち、『フレイア』であることについて教え聞かされてきた身だ。
 サリサがナナをフレイアにしたくないという気持が、判るのだろう。
 最も、それはその場にいる全員がそうであるのだが…
 兎も角、ティアなりにサリサを気遣っているのだ。
 「…ありがと」
 サリサはティアの言葉に応えた。
 「さて、それじゃあ、昼食にしましょうか」
 そう言ってソフィアは立ち上がり、キッチンの方へ向かう。
 ナナも手伝おうと立ち上がるが、ソフィアに制止されて座り直した。
 気になってナナがサリサの方を見ると、サリサは少々沈んでいる様子だった。
 「あの…サリサ…」
 声に気付いて、サリサはナナの方を見る。
 「ごめん、ね…」
 ナナは本当に申し訳なさそうに言った。
 その様子を見て、サリサは微笑む。
 「いいのよ、気にしないで。ナナがフレイアになっても私たちの目的は変わらないわ。でも…」  そこまで言うと、サリサは言葉を切る。
 そして数秒後、再び口を開いた。
 「何かが変わる訳じゃないけど…ただ、出来ることなら…その名を、背負って欲しくはなかった…」
 そう言ったサリサの表情には、注意深く見なければ判らない程僅かだが、悲しみの色が含まれていた。
 少しして、テーブルに料理が運ばれてくる。
 運び終えると、ソフィアとティアは席に着いた。
 「じゃあ、頂きましょう」
 ソフィアが言うと、徐々に皆が料理に手を付け始める。
 ナナも両手を合わせて小さく「いただきます」と言い、料理を食べ始めた。
 食べながら、サリサの方を見る。
 サリサはソフィアと何かを話しながら食事をしている。
 良く判らないが、魔術についての話のようだった。
 「ナナ」
 「ん?何?」
 サフィンの呼び掛けに、ナナはサフィンの方を見る。
 数秒、サフィンはナナを見ていたが、ゆっくりと、静かに、言った。
 「名前を継ぐのはナナでも、俺達が付いてるから…無理だけは、するなよ」
 その言葉でナナは何だか妙に嬉しくなり、大袈裟に頷いてみせる。
 「…うん!」
 その後、キリトがサフィンを小突いて「俺が付いてるって言いたかったんだろ」などと冷やかしていたが、それは、ナナには聞こえなかった。





 昼食を終えると、ナナ達は一階のある部屋に通された。
 入り口から数えて三番目の、右側の部屋だ。
 室内は狭く、明かりがないうえに窓もない為、昼間だというのに暗い。
 ソフィアはその部屋の中心辺りで手をかざし、何かを唱え始めた。
 聞いたことのない言葉だったのでナナが首をかしげていると、サリサが古代神聖語であることを教えてくれた。
 かつて神が使役していたとされる言語で、現在この言葉を解読出来る者…ましてや話せる者など、殆どいないのだそうだ。
 ナナが説明を受け終える頃、丁度ソフィアが呪文を唱え終える。
 すると、部屋の中心の床が青白い光を放ち、すうっと掻き消えていった。
 そこには地下へと続く階段が現れる。
 ソフィアは無言で階段を降りていく。
 ナナ達もそれに続いた。

 長く緩やかな螺旋状の階段をひたすら降りていくと、広い空間に出た。
 そこは大きなホール並の広さがあり、壁のあちらこちらから大小様々な石英のような美しい石が突き出していて、それが発光している為か、照明がないのに明るい。
 空間の中心辺りの床からは一際大きな石英が扇状に突き出しており、その手前に小さな祭壇のようなものがあった。
 「綺麗…」
 と、思わず呟いたのはナナ。
 ソフィアに続いて祭壇の前まで行き、足を止める。
 祭壇は台形で十数段の階段があり、上方には淡い光を放つ球体が浮かんでいた。
 「さ、ナナ…」
 ソフィアに促され、ナナは一度頷いてから階段を登り始める。
 登り終えて見ると、球体は丁度目線程の高さにあった。
 ナナは少し戸惑いつつも、ゆっくりと手を伸ばし、その球体に触れてみる。
 すると、どこからともなく声が聞こえてきた。
 『貴女が、フレイアに最も近しい者ですか…』
 耳に聞こえるというより、直接頭に響いてくるような声だった。
 ナナは驚いて球体から手を離し、辺りを見回す。
 『怖がらないで。私は、貴女の目の前にある球体…“ジェネシス”に宿る、意志です』
 「ジェネシス…?」
 言いながら、再び球体にそっと手を触れる。
 『そうです。私はジェネシス。フレイアが生まれてより、歴代のフレイア達の意志や記憶を見守り続けてきた者です』
 「フレイアの…意志や、記憶…じゃあ…」
 『勿論、貴女の知るフレイアのものも、私の中には宿っています……見たい、ですか?知りたいと、思いますか?』
 ジェネシスの問い掛けに、ナナは無言で頷いた。
 『知りたいと思ったのなら、両手で私に触れ、目を閉じるのです。但し、貴女の中に流れ込むのは、貴女の知るフレイアのものだけではありません。今までフレイアとなった者全ての意志と記憶が貴女の中に流れ込み…その想いと貴女の想いが同調した時…貴女は、フレイアとなるのです』
 ナナは真っすぐにジェネシスを見据える。
 そして、迷いなくジェネシスに両手を伸ばし、瞳を閉じた。
 すると、ジェネシスから眩いばかりの光が放たれる。
 祭壇の下で見守っていた者達も、余りの眩しさに目を覆った。
 光はゆっくりとした流れとなり、ナナの中に吸い込まれるようにして、消えていく。
 光が収まり見守っていた者たちが目を開くと、そこにジェネシスはなく、代わりにナナが先程までジェネシスの居た辺りに横たわるようにして浮かんでいた。
 ナナの身体は、うすい光の膜のようなもので覆われている。
 「……ナナ…」
 祭壇の上のナナを見つめ、サフィンは小さく呟いた。

 ナナは、深い、深い、フレイア達の記憶の海の中へ、落ちていった…


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