ナナの目の前にいる、女性と二人の少女…
その少女の片方に、ナナは見覚えがあった。
ナナの知る者よりだいぶ面立ちは幼く、顔に痣が無いが、エメラルドグリーンの瞳に、陽が当たると紫色に見える白い髪。
あれは…
(フレイア…!!)
ナナは、泣きたいような、抱きつきたいような衝動に駆られたが、これはナナが見ているフレイア達の記憶。
記憶に触れることなど、出来はしないのだ。
『あの女性が、67代目のフレイア。そして、左側に居る少女が…貴女の知る、フレイアです』
ナナは眼下に映し出されている三人の様子をじっと見つめる。
三人はこれから修行を開始するところのようだった。
「構え」
女性がそう言うと、数メートルの距離を取り向かい合っていた二人の少女が、修行用の木製の剣を構えた。
一人は静かに正面を見据え、もう一人は相手を睨むように見て、口の端に僅かに笑みを浮かべている。
静かに正面を見据えているのは、エメラルドグリーンの瞳に白い髪の少女で、口の端に笑みを浮かべているのが、青みがかった黒い瞳と同じ色の髪の少女だ。
「始め!!」
女性…六十七代目のフレイアが修行開始の合図を送ると、二人の少女はほぼ同時に地を蹴り、互いの方へと向かっていった。
黒髪の少女が鋭い突きを繰り出すと白い髪の少女が紙一重でそれをかわし、剣を横に薙ぐ。
黒髪の少女はそれを大きく後ろに跳躍してかわすと、再び地を蹴って白い髪の少女へ向かっていく。
常人の目では追いきれない速さで繰り広げられるその攻防は、まだ面立ちにあどけなさを残す少女の戦いとは思えなかった。
「止めっ!!」
数分間、攻防は続いたが、フレイアの終了の合図で少女達の攻防はぴたりと止んだ。
フレイアは少女達に近付いていき、少女達に微笑みかける。
「2人共、だいぶ強くなったね。そろそろ私を超えたんじゃないかい?」
「ありがとうございます!」
フレイアの言葉に黒髪の少女は方を上下させながら応えた。
白い髪の少女も小さく会釈をして応える。
「ただ、そうだね…アグネスは少し攻撃が乱暴だ」
そう言って、フレイアは黒髪の少女の方へ視線を向け、次に白い髪の少女の方へと視線を移す。
「そして、ダリアは…もう少し、自分から仕掛けに行っても良いと思うよ」
「…はい」
フレイアの言葉に、ダリアと呼ばれた白い髪の少女は短く答え、少し俯いた。
黒髪の少女アグネスは、再び口の端に笑みを浮かべている。
その様子を見てフレイアは僅かに眉を寄せ、空を仰いだ。
夕刻と言うにはまだ少し早いが、あと数十分もすれば空が茜色に染まり始めるだろう。
「少し早いけど、今日の修行はお終いだ。私は先に戻っているから、2人は明日の分の食糧を調達しながら来るんだよ」
そう言うと、フレイアは陽の沈む方角へと歩いていく。
ダリアとアグネスは、その後ろ姿を見送ってから、フレイアと同じ方角へと歩いていった。
フレイア、ダリア、アグネスの三人は、あまり人の寄り付かない山中の質素な一軒家に住んでいる。
一番近い街まで、歩きで一週間以上掛かる場所だ。
これは、フレイアが必要以上に人と関わることを避ける為で、代々フレイア達はそうやって暮らしてきた。
しかし、山中は食べる物も多く捕れるので、食糧に困ることは殆ど無い。
修行をしていた場所から三人の家までは歩いて約二十分。
ダリアとアグネスは、その間を食糧を捕りながらゆっくりと歩いていた。
「ダリアって、剣術は強いわよね」
「そう?」
アグネスの言葉に、ダリアは短く応える。
「そうよ。だって私、剣術だけはあんたに勝ったことないもの。他のは別だけどね」
そう言うと、アグネスは真剣な表情になり、食糧を捕る手を止めてダリアの方を見る。
ダリアもそれに気付いて手を止め、アグネスの方を見た。
「明日であたし達がフレイアに拾われて15年…多分、そろそろフレイアの名を継承する時が来るわ」
ダリアは無言でアグネスの言葉を聞く。
「実力から見て、フレイアに選ばれるのは私よ。私がフレイアになったら…あんたに、聞いて欲しいことがあるわ」
そう言うと、アグネスはどことなく狂気めいた笑みを浮かべた。
これは、少し前からアグネスが時折見せる表情だった。
「…判った」
ダリアは短くそう答えると、アグネスから視線を外し、食糧を捕る作業へ戻る。
アグネスはしばしの間ダリアの表情を伺っていたが、やがて食糧を捕る作業へと戻っていった。
夜になり、夕食を取り終えると、三人はそれぞれの部屋へと戻っていった。
小さい家だが、一階には四つ、二階には二つの部屋がある。
ダリアは二階の奥の質素な部屋へ入ると、部屋の隅にあるベッドに身を投げ出し、小さくため息をついた。
――あんたに、聞いて欲しいことがあるわ。
先程のアグネスの言葉と狂気めいた表情を思い出し、ダリアは再びため息をつく。
アグネスは手に入れた力に取り憑かれている。
『フレイア』としての大きすぎる力に、負の感情を抱いてしまっている。
アグネスがフレイアとなった後何をするつもりかは判りかねるが、良からぬことであろうことだけは、ダリアは理解していた。
(その時が来たら、あたしはどうすれば…)
ダリアはまた一つため息をつき、寝返りをうつ。
すると、ダリアの部屋の扉を誰かが小さくノックした。
「どうぞ」
気配でそれが誰なのか判っていたダリアは、扉の方を見ようともせずに相手を促し、ベッドから身を起こす。
入ってきたのは、予想通りフレイアだった。
ダリアはフレイアが入ってきて部屋の中程まで進んでからようやくフレイアの方を見る。
フレイアは、真剣な表情でダリアを見ていた。
「どうしたのですか?」
「ダリア、あんたに話がある。『フレイア』の継承についてだ」
今まで見たことの無いフレイアの真剣な表情と声に、ダリアは思わず息を呑む。
フレイアはしばしの間ダリアの顔を見据え、それからゆっくりと口を開いた。
「単刀直入に言う。私は…ダリア、あんたにフレイアの名を継がせようと思っている。出来れば今すぐに」
その言葉を聞いてダリアは一筋冷や汗を流し、ベッドから立ち上がる。
「しかし、実力的に見てあたしよりアグネスの方が…」
「確かに、表面的にはそうかもしれない。でも私は、あんたがアグネスと戦う時は本気を出していなかったことを知っている。それに…」
フレイアは眉を寄せ、床へと視線を落とす。
「…アグネスは、力を手にしたことによって負の感情を抱いてしまっている。そのような者にフレイアの名を継がせることは、出来ない」
そう言うとフレイアは視線をダリアへと戻し、腰に携えていた剣を取り、ダリアに差し出す。
銀色の輝きを讃える、装飾は少ないが美しい長剣。
それは、代々フレイア達に受け継がれてきた、フレイアの象徴である剣だった。
「受け取ってくれ」
フレイアは真っすぐにダリアを見る。
ダリアはそれに応えるように真っすぐにフレイアを見返すと、ゆっくりと頷き、両手を剣の方へ差し出した。
ダリアが剣を受け取ると、フレイアは悲しみの色を含みながらも満足そうに微笑む。
「ダリア、アグネスのことを…」
フレイアがそこまで言った、次の瞬間。
室内に、肉を裂くような鈍い音が響いた。
余りの出来事にダリアは驚愕し、目を見開く。
見ると、フレイアの心臓が、背後から剣によって貫かれていた。
「フ…レイ、ア…?」
ダリアが搾り出すような声を上げると、フレイアに突き刺さった剣がゆっくりと引き抜かれる。
剣が引き抜かれると、フレイアは傷口と口から大量に血を流し、ゆっくりとその場に崩れ落ちていった。
フレイアの傷口から吹き出した鮮血が、ダリアの髪や顔、身体に赤い色彩を添えていく。
そして、崩れ落ちたフレイアの後ろには、同じように鮮血で彩られたアグネスが立っていた。
その手には、フレイアを貫いた剣が握られている。
ダリアはアグネスを見て、驚きと怒りに身体を震わせる。
「アグネス…あんた…!!」
何ていうことを…!!
そう言いたかったが、それ以上言葉が出なかった。
そんなダリアを見て、アグネスは口の端を吊り上げ、笑う。
その笑みは、狂気に歪んでいた。
「私をフレイアに出来ない…?ふざけないで」
言いながら、アグネスはフレイアの方へと視線を落とし、フレイアを足で仰向けにさせる。
フレイアは既に事切れており、足蹴にされても抵抗を示すことなくぐったりとうなだれていた。
「ふん…フレイアのくせに、あっけないのね」
アグネスは吐き捨てるようにして言うと、フレイアから足を避けてダリアの方を見る。
「まあ、いいわ。少し早いけど聞かせてあげる」
そう言ったアグネスの表情が再び狂気に歪む。
ダリアはフレイアから受け取った剣をしっかりと握り、身構えた。
「ファーゼイスは力で世界を掌握しようとし、フレイアはそれを阻止する。阻止出来るのは、それ以上の力があるからよね? つまり…フレイアの力があれば、この手で世界を掌握することが出来る…そう、思わない?」
「フレイアの力をそんなことに使ってはいけない!」
狂気の笑みを向けてくるアグネスを、ダリアは鋭い視線で睨み付ける。
ダリアの返答を聞き、アグネスは大袈裟に肩をすくめ、冷笑した。
「そう言うと思ったわ。あんたが私の意見に共感するようなら私の配下にしてやろうと思っていたけど…じゃあ、その剣…『フレイア』の剣だけでも、私に渡しなさい」
「嫌よ」
アグネスの言葉に、ダリアは即答した。
「そう? じゃあ、力ずくで奪わせてもらうけど…?」
アグネスはそう言って剣を構える。
ダリアはアグネスを睨み付けたまま、ゆっくりとフレイアの剣を鞘から抜き、構えた。
その刀身は窓から入り込む月光を受け、銀色の輝きを放つ。
「あんたみたいな奴に、この剣は絶対に渡さない」
そう言って向けられたダリアの鋭い視線に、アグネスはただ冷笑を返すだけだった。
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