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 試練を終えて戻ってきたナナは、二階の一番奥の部屋に運び込まれた。 
 ソフィアの見解によると、数日もすれば目を覚ますそうだ。 
 ナナが目覚めるのを待って一睡もしていなかったサフィンはというと、隣の部屋で休息を取っている。 
 しばしの間外からナナのいる部屋を見つめていたサリサだが、やがて踵を返し、森の中へと足を踏み入れた。 
 
 
 
 サリサが足を止めたのは、来る時に通って来たのと同じヴァリアの森の中とは思えない程美しい場所だった。 
 緑の木々の間からは木漏れ日が差し込み、さらさらと流れる小川が小さな泉を作っている。 
 泉の水は、そのまますくい取って口に含むことが出来そうな程澄んでいた。 
 この場所がこのような美しい姿でいられるのは、天上人の聖域の力が及んでいる範囲内だからであろう。 
 天上人の聖域(の力は、いかなる邪気も、いかなる魔物も寄せ付けない。 
 ソフィアがそう言っていたのを、サリサはふと思い出した。 
 サリサは一度大きく深呼吸すると、瞳を閉じ、自然体で立つ。 
 すると、サリサの足許から、何か気流のようなものが立ち上り始めた。 
 それは柔らかい風を起こし、様々な色に変化しながらゆっくりと流れ、やがてサリサの全身を包み込むようにして巡っていく。 
 気流が大きくなるにつれ、周囲の木々達がまるで共鳴しているかのようにざわざわと音を立て始めた。 
 少しして、サリサは小さく息を吐き、両手を上空へかざす。 
 次の瞬間、サリサの周囲を巡っていた気流は一気に上昇し、サリサの頭上数メートル辺りの所で弾けた。 
 弾けた気流は、無数の透明な結晶体となってゆっくりと辺りに降り注ぐ。 
 木漏れ日に照らされながら降り注ぐその様子は、まるで光そのものが降ってきているようで、とても美しかった。 
 結晶体が全て地面に落ち、やがて消え去ると、サリサはゆっくりと瞳を開く。 
 すると、後方から何者かが拍手をしながら近付いてきた。 
 「や〜、サリサのこれ、久し振りに見たな。いつ見ても綺麗だな」 
 そう言って、笑いながら近付いてきたのは、ライトブラウンの髪と同じ色の瞳を持った青年、キリトだった。 
 「それにしても、前より増えてるんじゃないか?結晶体の数」 
 「まあ、ね」 
 サリサはそうとだけ言うと、泉のほうに視線を向けた。 
 先ほどのサリサの行為は、魔術師が己の魔力を測るためのものだ。 
 魔力を放出して結晶化させたもの…その色や形、大きさなどで、その者の魔力が判定出来る。 
 通常だと、大きな結晶大が五、六個出せれば良い方なのだが、サリサの数え切れない程の美しい結晶体を見ると、他の魔術師達との魔力の格の違いは明らかだ。 
 サリサ程澄んだ美しい魔力を大量に結晶化出来る魔術師は、他にいないと言っても良いだろう。 
 「頑張ってんだなぁ」 
 「ん…」 
 生返事しか返さずに泉を見つめているサリサを見て、キリトは僅かに眉をひそめる。 
 「まだ…迷ってんのか」 
 キリトの言葉にサリサは無言で頷くと、目を伏せた。 
 「ナナが、フレイアになってしまったことは…仕方ないと思うの。でも…」 
 そこまで言って、サリサは言葉を切る。 
 キリトが続く言葉を待っていると、サリサは目を開き、ゆっくりとキリトの方を見た。 
 「今までフレイア達がファーゼイスを封じてきた方法…あんたは、聞いたことある?」 
 「いや、無いな」 
 突然話の方向が変わったが、キリトは訝しがることなく答える。 
 「今までのフレイア達は、ファーゼイスに乗り移られてしまった者が傷付くことのないよう、その者からファーゼイスの魂を取り出して、それを大地に封印してきたの。勿論、初代のフレイアに限ってはファーゼイスそのものを封印したんだけど…」 
 サリサは再び泉の方に視線を移す。 
 「でも、ファーゼイス程凶悪な力を持った魂を永久に大地に収めておくなんてのは無理な話でね。いずれ必ず封印に歪みが出来て、ファーゼイスは復活を遂げてしまうのよ」 
 「復活しない方法ってのは…」 
 「あるわ」 
 キリトの問いに、サリサは明確に答える。 
 「乗り移られている者が死ねば、中にいるファーゼイスも死ぬ…つまり、乗り移られている者ごとファーゼイスを殺してしまえばいいのよ」 
 そう言って、サリサは眉を寄せ、俯いた。 
 「ナナに、そんな酷な事はさせたくない…」 
 サリサの辛そうな表情を見ると、どれ程ナナのことを心配しているのかが見て取れる。 
 しかし、ナナの身を案じるのは、殺させたくないという理由だけではないことを、キリトは感付いていた。 
 「でも、それだけじゃなくて…まだ何かあるんだろ?」 
 キリトが言うと、サリサは顔を上げて頷き、ゆっくりと口を開く。 
 「…あんたには言っておくわ。実はね…」 
 
 
 
 
 
 
 世界最北の大陸、タルディアーナ。 
 その大陸の更に北端にある、大陸最大の王国ミルトレイアは、まだ昼間だというのに活気の欠片もなく、人々には重い空気が漂っていた。 
 大通りを見ても、出歩いている者は殆どいない。 
 この国は、昔はもっと活気のある国だった。 
 しかし、十数年前…前国王が死に、まだ幼かった正室の第一皇子が王となってから、外交は閉鎖され、治安は乱れ、人々の心は荒んでいき… 
 この国は、変わってしまったのだ。 
 そんな国民たちの様子を、王城ミルトレイアの一室から一人眺める者がいた。 
 レグルス=オーリキュラ=フォン=ミルトレイア。 
 ミルトレイア国の現国王であり、ファーゼイスでもある人物。 
 「ずいぶんと良い眺めになったものだ」 
 一人呟くレグルスの長い金髪が、僅かに風で揺れる。 
 「ベルナ」 
 「はい」 
 レグルスが言うと、後ろに控えていた赤い髪の女性、ベルナが姿を現した。 
 「彼女は、どうなった」 
 「…フレイアの名を、受け継いだようです」 
 「…そうか」 
 そうとだけ言うと、レグルスは僅かに口の端を釣り上げる。 
 「それでは、そろそろ私も動き出すとしよう」 
 レグルスは踵を返して歩き出すが、ベルナの横を通り過ぎた辺りで立ち止まり、手で胸元を押さえた。 
 「いかがなさいました」 
 「…一瞬、あの者の抵抗を受けた」 
 「未だ、あの者の意識が残って…?」 
 レグルスの言葉に、ベルナは少々驚きの表情を見せる。 
 「まあ、ほんの微弱な抵抗だ。大事ない」 
 レグルスは視線だけをベルナの方へ向ける。 
 「それよりも、近々お前とファリスにも出てもらうことになるだろう。準備だけはしておけ」 
 「はっ!」 
 そう言うと、ベルナの姿は一瞬で掻き消えた。 
 一人室内に残されたレグルスは再び胸元を押さえ、何かに語りかけるようにして口を開く。 
 「そんなに彼女が心配か」 
 しばしの間待つが、答えは…返ってくる筈も無かった。 
 「安心しろ。すぐにお前の許へ連れて来てやる」 
 レグルスの独り言は、広い室内に良く響いた。 
 
 
 
 
 
 
 「何だって…!?」 
 サリサの話を聞き終えたキリトは、驚愕し、思わず声を上げた。 
 サリサはというと、眉を寄せて俯いている。 
 キリトはしばしの間言葉を発することが出来ずにいたが、しばらくして気を取り直すと、いつもの笑みを浮かべる。 
 その笑みは、軽いようでいて、どことなく優しさを含んだ笑みだった。 
 「…何とかなる」 
 キリトの言葉に、サリサは僅かに顔を上げる。 
 「ナナはフレイアになっちまったし、ファーゼイスも倒さなきゃならない。もう後戻りはできない」 
 「…どうしたら、いいと思う…?」 
 弱々しく、サリサは問い掛ける。 
 サリサの問い掛けに、キリトは微笑んでから答えた。 
 「後戻りできないとしたら、進むしかない。単純明快だろ?悩む必要なんて無いんだ」 
 その言葉で、サリサははっとする。 
 「どんな理由があっても、立ち止まってちゃ仕方ないだろ?ちゃんと前見て進んでいけば、きっと、何とかなるって」 
 
 
 
 …何であたしはこんなところで立ち止まってたんだろう。 
 止まってたんじゃあ、いくた悩んでも答えなんて出る訳が無いんだ。 
 こいつの、言う通りだ。 
 
 
 
 サリサは自分でも知らぬ間に微笑んでいた。 
 「そうね」 
 そう言ったサリサは、ようやく普段の調子を取り戻したように見え、キリトはほっとする。 
 「う〜ん、俺っていい事言うなぁ」 
 「自分で言わなきゃもっといいのにね」 
 キリトの戯言に、サリサはいつものうような突っ込みを入れる。 
 キリトはほっとしたついでに両手を大きく広げてみせた。 
 俺の胸に飛び込んでおいで、とでも言わんばかりの表情で。 
 「…何のつもりよ」 
 サリサはあからさまに嫌そうな表情をする。 
 「いや〜、ここはセオリー通りに、感動したサリサが俺に抱き付いてくるシーンだろ?」 
 「……」 
 サリサはキリトに軽蔑の眼差しを向け、その場から立ち去ろうとする。 
 「バカに構ってる暇は無いわ。じゃあね」 
 「そんな、照れなくてもいいのに」 
 そう言って、キリトはサリサの後を着いていった。 
 
 
 
 その後、勿論展開はセオリー通りにはいかず、あまりのしつこさに腹を立てたサリサの連続高等魔術を喰らったキリトが数時間ほど再起不能状態に陥ったのは、言うまでもない。 
 
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