the past 想い−2

 ナナの目覚めを待って一睡もしていなかったサフィンは、丸一日眠り、ようやく目を覚ました。
 ゆっくりと身体を起こし、前髪をくしゃっと掻き上げると、辺りを見回す。
 捜しものの姿は見当たらない。
 (そうか、ナナは…隣の部屋だった…)
 ようやく意識のはっきりしてきた頭で昨日の出来事を思い出すと、サフィンはベッドから降りて窓の外を見る。
 外はまだほんのりと薄暗く、朝日は半分も顔を出していない。
 (…どのくらい眠っていたんだ、俺は)
 サフィンは頭を押さえて小さく息を吐くと、ふらふらと部屋に備え付けてある洗面台へ向かう。
 顔を洗おうとしてふと洗面台を見ると、洗いたてらしいタオルが目に入った。
 よく見ると、サフィンの服の替えまでが丁寧に洗濯されて置いてある。
 ソフィア辺りがやってくれたのかと思い心の中で感謝すると、サフィンは顔を洗って服を着替え、部屋の外へ出た。



 部屋を出ると、サフィンはナナのいる部屋へ向かった。
 念のため、二回、扉をノックする。
 「どうぞ」
 中からは、女性にしては低めで凛とした声…ティアの声が聞こえてきた。
 サフィンはゆっくりと扉を開き、中へ入る。
 中では、ナナの眠るベッドの横で、白い椅子に腰掛けたティアが何かの本を読んでいた。
 サフィンが中に入ってくると、ティアは一度サフィンの方を見て、再び本に目を落とす。
 「おはよう。アンタ、丸1日眠ってたみたいだね」
 「お、おはよう…」
 (丸1日も…)
 ティアの言葉に挨拶だけを返すと、サフィンはナナの方へ近付いていく。
 ナナは安らかな表情で小さく寝息を立てて眠っていた。
 掛けられている布団の胸の辺りが、僅かに上下している。
 サフィンはほっとして、安堵のため息を漏らす。
 すると、ティアも本を閉じ、ナナの方を見た。
 「その子…戻ってきて良かったね」
 「?」
 その言葉に、サフィンはティアの方を見る。
 「フレイアの試練はね、フレイアの意志に同調できない者は、二度と意識を取り戻さないこともあるんだよ。ソフィアはアンタ達に心配を掛けまいとそのことは黙ってたみたいだけどさ」
 サフィンは一瞬驚きの表情を見せるが、すぐに安堵の表情に変わった。
 「本当に…良かった」
 言いながら目を細めてナナを見るサフィンの様子を見て、ティアも内心ほっとする。
 サフィンは気持ち良さそうに眠るナナを見ていたが、しばらく経つと、はっとしてティアの方を見た。
 「そういえば、俺の着替えやタオルを用意してくれたのは…」
 再び本に目を落としていたティアだったが、その言葉で顔を上げ、サフィンの方を見る。
 「ああ、アタシがやっといたんだ」
 てっきりソフィアが用意しておいてくれたものと思っていたサフィンは、内心、少々驚いた。
 そんなサフィンの心中を察したのか、ティアは小さく吹き出し、口を開く。
 「ソフィアがやったと思ってただろ?」
 「え!?あ、いや…」
 図星を突かれたサフィンは焦って弁明をしようとするが、ティアはサフィンの様子を見て笑い出し、弁明をしようとするサフィンを制止した。
 「いや、いいんだ。アイツ、外見があんなだろ?だから、家庭的な事が出来る奴と思われがちなんだよな」
 笑いながら、ティアは言う。
 「でも、実際は全然。特にアイツに料理だけはやらせちゃ駄目だ…」
 そこまで言ったところで部屋の扉が突然開き、ティアの言葉は遮られる。
 入ってきたのは、噂されていた張本人、ソフィアだった。
 ソフィアのすぐ後に、シセルも部屋へ入ってくる。
 「ちょっと、ティア。何を余計なことを話しているの」
 入ってくるなり、ソフィアは微笑みながら言った。
 「何だ、聞いてたのか。でも本当のことだろ?なあ、シセル」
 「ああ」
 「あら、シセルまで…酷いわ」
 ソフィアは微笑みを崩さないままそう言うと、サフィンの方を向き、歩み寄ってきた。
 「朝、早いのね。気分はどう?」
 「ああ、だいぶ良いよ」
 ソフィアにつられるようにして、サフィンも微笑み返す。
 すると、ソフィアは後方のシセルの方へ視線を移した。
 「ですって。良かったわね、シセル」
 言葉の意味が判らず、サフィンは少々首を傾け、シセルの方を見る。
 シセルは伏せていた目を開いたかと思うと、無表情のままサフィンの方へ歩み寄り、サフィンの襟首を掴んで部屋の外へ連れ出そうとした。
 「なっ、何なんだよ一体!?」
 理解不能なシセルの行動にサフィンは抵抗を試みるが、それはソフィアによって制止された。
 「大丈夫よ、取って食われる訳じゃないから」
 「はぁ…」
 ソフィアにそう言われ、サフィンは理解不能ながらもシセルに付いていってみることにする。
 シセルは無表情のまま、サフィンは首を傾げながら、揃って部屋を後にした。
 くすくすと笑いながら二人を見送ると、ソフィアはティアの傍へ歩み寄る。
 ティアは部屋の入り口の方を見つめながら口許に笑みを浮かべていた。
 「シセル、楽しそうだったな」
 「ええ。多分…サフィン君程強い者を見るのは初めてだから…だから、闘いたくて…強くなりたくて、うずうずしているんだわ」
 「アイツ、そんなに強いのか?フレイアの剣術は受け継いでいるんだろうけど…」
 「ええ、強いわ。闘う力だけなら…きっと、今ここにいる誰よりも」
 ティアの質問に答えると、ソフィアはナナの方へ視線を移す。
 「この子よりも、ね」
 そう言うと、ソフィアはナナの胸元に手を伸ばし、シャツのボタンを二つ、三つ外して軽く開く。
 開かれたナナの白い胸元の中心には、フレイアの証である朱い紋様が、くっきりと浮かび上がっていた。
 ソフィアはそれを見て、ティアでさえ気付かない程僅かに眉を寄せると、ナナの胸元を閉じ、ゆっくりと目を伏せた。






 サフィンはシセルに連れられ、神殿の横の、少々開けた場所へ来ていた。
 ナナのいる部屋がある方とは反対側の場所だ。
 訳も判らず連れて来られた為サフィンが不機嫌そうにしていると、シセルが近くの木に立て掛けてある何本もの木製の剣の中から二本を選び、片方をサフィンの方へ投げ付けた。
 サフィンはそれを左手で受け止めると、少々眉を釣り上げてシセルを見る。
 「ここで何をするつもりなんだ?」
 「修行をする。付き合え」
 サフィンの問いにシセルは短く答え、ゆっくりと剣を構える。
 その言葉を聞いてサフィンは一瞬きょとんとするが、すぐさま元の不機嫌そうな表情に戻った。
 「何だよ。それならそうと早く言えばいいのに」
 「さっさと構えろ」
 シセルの言いようにサフィンは反抗したい気分になるが、小さくため息だけを漏らし、すぐに正面に剣を構える。
 サフィンはシセルの修行の要請を断る理由がない。
 …というよりは、むしろ、真剣に闘ってみたいというのが本音だった。
 それはシセルも同じのようで、闘いたくて仕方がないという様子だ。
 相変わらず無表情のままではあるが、サフィンにはそれが良く判った。
 二人は微動だにせず睨み合っていたが、しばらくして、シセルがゆっくりと口を開いた。
 「…行くぞ」
 次の瞬間、二人は同時に地を蹴った。
 シセルが剣を振り下ろすとサフィンはそれを受け流し、身を半転させながら一撃を加えようとする。
 シセルはそれを紙一重でかわすと、瞬時に身を屈めて下からの攻撃を繰り出すが、その攻撃もうまくかわされ、二人は一度距離を取る。
 そのような攻防が幾度も続き、辺りには剣のぶつかり合う鈍い音が響き渡った。
 二人の実力はほぼ互角、というところだが、速さではサフィンの方が勝っている。
 その為、シセルは徐々に不利な状況に追い込まれていった。
 しかし、シセルは不利な状況になるにつれ、表情に不敵な笑みを浮かべる。
 心底、闘いを…強い相手に巡り会えたことを、楽しんでいるようだった。
 その様子を見て、サフィンも不敵な笑みを浮かべる。
 二人の攻防は、止まることなく続いた。






 連続して起こる鈍い音と隠すことのない闘気のお陰で目が覚めてしまったサリサは、ゆっくりとベッドから身体を起こし、大きく欠伸をしながら窓の方へと歩いていく。
 目をこすりながら窓の外を見ると、サリサが借りている部屋の正面下の開けた場所で、サフィンとシセルが剣を交えているのが見えた。
 (朝っぱらからよくやるわね、全く…)
 サリサは窓の桟に腕を乗せ、寝起きのせいで虚ろな目で二人を見る。
 と、よくよく見るうちに、サリサはある事に気が付いた。
 二人とも、激しい攻防を繰り広げながらも心底楽しそうな表情をしている。
 サフィンでさえそんな表情を見たことが無いというのに、あの不愛想なシセルまで…
 サリサは少々驚きつつ、ひとりごちる。
 「あいつら…いつの間にあんな仲良くなったのよ」
 「本当だよなぁ。俺も混ぜて欲しいよ」
 「あたしはあんなのに混ざったら死ぬわ…」
 そこまで言って、サリサは驚いて自分の隣の、声のした方を見る。
 そこには、いつの間に現れたのやら、当然のようにキリトが立っていた。
 「あんた、いつどこから湧いて出たのよ」
 「ついさっき、入り口から」
 (いつ入ってきたのかさえ判らなかったわ…)
 サリサが呆れ眼でキリトを見ると、キリトの視線は外で闘っている二人に注がれていた。
 その表情は、真剣そのものだ。
 サリサは呆れたようにため息をつきつつも僅かに微笑み、外の二人に視線を移した。
 すると、次の瞬間、サリサの背に何者かの手が触れた。
 見ると、いつの間にやらキリト手がサリサの背に回されており、徐々に腰の方へと降りていく。
 「寝起き姿ってのも良いなぁ」
 そんなことを言いつつ、キリトはサリサの方へ身を寄せてきた。
 サリサがキリトに冷ややかな視線を送りつつ容赦なく裏拳を繰り出すと、裏拳は見事にキリトの顔面にヒットし、キリトは顔を両手で押さえてその場にうずくまる。
 サリサは踵を返し、うんざりした表情のまま部屋を後にした。


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