断末魔の声を発することもなく、熊のような姿の巨大な魔物が地面へと崩れ落ちる。
崩れ落ちた魔物の数メートル手前には、銀色の剣を構えたサフィンが立っていた。
魔物が動かなくなったことを確認すると、サフィンは構えを解いて小さく息を吐く。
それと同時に、すぐ近くで構えていたナナ、サリサ、キリトも構えを解いた。
「この辺りもすごい数だね、魔物……」
「そう、ね」
ナナの言葉に、サリサが短く答える。
シアチアン東部の山岳地帯へと向かう道中、4人は、数え切れない程の魔物に襲われていた。
現在も、熊のような姿の魔物の集団に突然襲い掛かられ、サフィンの倒した最後の一体でようやく片が付いたところだった。
魔物を斬った直後であるというのに血の一滴も付いていない銀色の剣を鞘に収めると、サフィンは再び小さく息を吐く。
キリトは、鞘に収まっていく剣をじっと見つめていた。
代々フレイアに受け継がれてきた、美しい銀色の剣。
ナナがフレイアになった時、サフィンは一度その剣をフレイアであるナナに渡そうとしたが、ナナがサフィンに使って欲しいと言ってきた為、現在の持ち主はサフィンである。
剣の刀身は、刃こぼれどころか、汚れや曇りひとつ……言ってしまえば、使われているという雰囲気すら無い。
それは、剣が魔力的な力を帯びた特殊な金属で造られていることや、代々のフレイア達やサフィンに大切に扱われ、手入れが行き届いているということもあるが、何より、フレイア達の扱う剣術の、身のこなしの無駄の無さと速さがその主な要因だった。
鞘に収まった剣を見つめながら、キリトは先程の戦いを思い出す。
魔物に反応をする暇すら与えずに翻される刀身。
自分が息絶えたことにすら気付かぬまま、地面へと倒れていく魔物。
そしてその時、サフィンは既に次の魔物へと照準を定めている。
一般人の目で見たら、何が起こったのか判別すら出来ないであろう速さで……
しかもそれは、何もサフィンに限ったことではない。
ナナの身のこなしの速さはサフィンに全く引けを取らないし、サリサの繰り出す魔術の詠唱速度も尋常ではない。
そのうえ、3人の繰り出す技のひとつひとつの威力も凄まじかった。
キリトはサフィンの腰に携えてある剣から視線を外し、今度は愛用の弓の握られている自分の左手を見る。
3人を見ていると……特に、3人の戦う姿を見ていると、これが「フレイア」という存在なのだということを思い知らされる。
だが、自分は?
キリトは弓を握っている左手に力を込める。
すると、突然後ろから肩を叩かれ、キリトははっとして振り返った。
その様子に、肩を叩いたサリサは少々驚いたような表情を見せた。
「サリサか……」
そう言って、キリトは小さく息を吐き、ベルトの後ろに取り付けてある金具に弓を引っ掛ける。
サリサは、キリトらしくない……何だか陰りのあるような様子に、首を傾けた。
「どうしたのよ、ぼうっとして」
「いや、何でもない」
「そう? なら良いけど」
サリサがそう言うと、キリトはにっと笑い、サリサの方へ顔を近づけてきた。
「何? 心配してくれた訳?」
「はぁ? 誰が? 誰を?」
サリサは、先程までの様子などどこにも無いキリトに呆れたような表情を向ける。
「勿論、サリサが、俺をに決まってるだろ」
言いながら頬に手を添えてくるキリトの手を、サリサは振り払った。
「あたしがあんたの事なんて心配する訳無いでしょ。 それより本題なんだけど」
「何?」
「スカーレットが言ってた場所って、この辺りよね?」
「あぁ、その筈。 もう少し北の方に行くと、着くと思うんだけど」
キリトは自分から左の方向、一見すると岩しかない方向を指差した。
それに合わせて、サリサもその方向へと視線を向ける。
「この辺りは岩だらけで方向感覚が狂いそうね。 あんたがいると助かるわ、ホント」
「お、頼りにされてますね、俺」
「まぁ、あんたの方向感覚は普通じゃないから。 森の中で育っただけあって野生の勘でも磨かれてきたんじゃないの?」
「ついでに今夜あたり野生化した俺を見てみたくない?」
「それはお断りするわ」
ぴしゃりと即答すると、サリサはキリトに背を向け、はらはらしながら2人のやり取りを見ていたナナとサフィンの方へ歩いて行った。
その後ろ姿を見ながら、キリトは表情を綻ばせ、その後へと続いた。
山岳地帯を更に進むと、4人は今まで通ってきたところよりも岩の少ない、少々開けた場所へと出た。
そこは、周囲を岩で円形に囲まれた、小さな広場のような場所だった。
「ここ、何だろう」
明らかに人為的に作られたであろうその空間に、ナナは周囲を見回しながら首を傾ける。
「この辺り、なのかしらね」
「恐らく」
サリサの問い掛けに、キリトは短く答えた。
と、その時。
岩陰から、何者かが突然飛び出してきた。
4人は瞬時に反応し、その者が繰り出した剣をかわし、戦いの構えを取る。
飛び出してきたのは、碧色の髪の美しい女性だった。
剣をかわされた女性は後方へと飛び退き、4人に向かって剣を突き出して口を開いた。
「フレイアはどいつだ」
女性は美しい緑色の双眸でひとりひとりをゆっくりと見て……最後に、ナナで視線を止める。
ナナは、戦いの構えを取りつつも突然の出来事に困惑した様子だった。
「お前か」
ナナを見据えつつ女性が言うと、サフィンが庇うようにしてナナと女性の間に割って入った。
それに続いて、サリサとキリトもナナを囲むようにして立ち、構える。
双方動かず睨み合ったままの膠着状態はしばらく続いたが、そこに、何者かの声が割って入った。
「ノーズ、お止め」
女性は声に反応し、剣を降ろして声のした方を見る。
ナナ達も、構えは解かないまま視線だけを声のした方へと向けた。
視線の先の岩陰から出てきたのは、皺だらけの顔の、杖を突いた小柄な老婆だった。
老婆はゆっくりと女性の方へ近付いていく。
「何も突然斬り掛かることはないだろう。 客人に失礼じゃないかい」
「しかし、シャハラザード様。 これくらいかわせないようではフレイアに相応しくないのでは?」
「手厳しいねぇ、お前は」
そう言って老婆が笑うと、皺だらけの顔の目元に更に皺が寄る。
ナナ達が警戒したまま老婆と女性のやり取りを見ていると、老婆はナナ達の方を向いて一歩前へ出た。
「良く来たね、フレイアよ」
老婆の言葉に少々驚きつつ、ナナ達はゆっくりと構えを解く。
「どうして、私達のことを?」
「気配を感じたからさ。 『フレイア』を継ぐ者がこちらに向かっているという気配をね」
ナナの問いに老婆が答える。
「気配……? もしかして、あなたがフレイアに封印術を享受した……」
「ああ、その末裔に当たる者……シャハラザードだ。 こっちは弟子のノーズ。 宜しく頼むよ」
老婆、シャハラザードが言うと、後ろに立っていた女性、ノーズは4人に向かって一礼する。
すると、サリサが一歩前へ出て口を開いた。
「あたしはサリサ。 こいつがキリトで、こっちがサフィン。 そして、こっちが……『フレイア』を受け継いだ、ナナよ」
サリサが言うと、シャハラザードとノーズの視線がゆっくりとナナの方へ向けられた。
ナナはその視線に少し戸惑いつつも、シャハラザードの前に歩み寄る。
「あの、私……あなたに、封印術についてお聞きしたいことがあって来たんです」
「ほう?」
シャハラザードはナナの顔を下から覗き込むようにして見た。
「フレイアを継いだときに、封印術も受け継いだ筈だが?」
問い掛けながら、シャハラザードは首を傾ける。
ナナはシャハラザードの目を真っすぐに見返し、答えた。
「私が受け継いだ封印術では駄目なんです。 たとえファーゼイスを封印しても、ファーゼイスはいずれ大地の力の衰退した部分を見付けて、復活してしまいます。 私は、もう二度と復活しないような、そんな術が知りたい」
シャハラザードはナナの瞳をじっと見つめていたが、しばらくすると、ふっと目元を緩ませ、微笑んだ。
「良い目をしているね。 まぁ、封印術については教えてやらんこともない。 ただし!」
少し語尾を強めて言うと、シャハラザードは口の端を釣り上げる。
「それ相応の力を備えているかどうか、示して貰うよ」
その言葉に、ナナ達は首を傾げた。
「何をすれば、良いのですか?」
「なぁに、簡単なことだよ。 ここにいるノーズと戦い、勝てば良い」
シャハラザードが言うと、ノーズがシャハラザードの横へと歩み寄り、静かに剣を構える。
ナナはノーズを見て2、3度瞳を瞬かせた。
岩に囲まれた広場のような空間の中心にナナとノーズだけを残し、他の者はその外側から2人の様子を見ていた。
2人は向かい合ったまま、シャハラザードの合図を待って静かに佇んでいる。
「何のつもりかしらね、あのバァさん」
2人から視線を外さないままで、サリサは僅かに眉を寄せて呟いた。
「何のつもりって?」
サリサの言葉に、キリトが問い返す。
「あのバァさん、ナナがあのノーズっていう人より強いって、気付いてる筈よ。 強いって判ってるのにどうしてわざわざ戦わせる必要があるの?」
「まあ確かに、強いだけでは封印術は使いこなせないだろうし、な」
キリトは腕を組んで近くの岩へ寄り掛かり、キリト達のいる位置からナナ達を挟んでちょうど反対側の位置へと視線を向けた。
視線の先には2人に合図を送ろうと右手を手前に差し出したシャハラザードが立っていた。
キリトは少しの間シャハラザードを見て、次いで自分の左側へと視線を移す。
その場所に立っているサフィンは、真っすぐに、広場の中心の2人を見つめていた。
少しして、シャハラザードが一歩前へ出ると、右手を振り下ろして合図を送る。
「始め!」
合図と同時に、ナナとノーズは力強く大地を蹴った。
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