the past 真実−6

 「消え、た……?」
 先程までナナとファーゼイスがいた辺りから視線を外さぬまま、サフィンが驚愕に目を見開く。
 次いで、サフィンと同じ位置に視線を向けたまま、サリサが、シャハラザードが、口々に呟いた。
 「これは……転移魔法……!?」
 「よもや、禁術を扱うとは……」
 禁術とは、扱うのが非常に困難であり、そのうえ扱うことによって術者に、ひいては世界にまで悪影響を及ぼす為、行使することを禁じられている術だ。
 人間にも、妖魔にも、禁術を行使することができる程の術者は殆ど無く、たとえ使える程の力量を備えた者でも、自身への影響を恐れて行使することは無いが……何百年もの時を生き、最高ともいえる魔力を備えたファーゼイスともなると、術による影響を受けないすべを持つのかも知れない。
 しかし、そんなことは、今のサフィンにはどうでも良いことだった。
 「どこに、行った……?」
 両の拳に力をこめながら、僅かに震える声でサフィンが呟く。
 呟きに気付いたサリサとキリトは、眉をひそめつつサフィンの方へと視線を向けた。
 「サフィン……」
 「ナナは……ナナは、どこに行ったんだ!!」
 焦りと、憤りで。
 サフィンは思わず声を荒げてしまう。
 サリサも、キリトも、このような……眉間に深い皺を刻んで怒りを露にしているサフィンを見るのは初めてで、僅かだが表情に困惑の色を浮かべた。
 「……どこに、行ったかは……見当もつかないわ。 でも、複数名での転移魔法では、そう遠くへは……」
 視線を地面へと落として、サリサが口を開く。
 だが言い終える前に、突然もの凄い勢いでサフィンが走り出した。
 「おい、サフィン!!」
 キリトが大声で叫ぶが、サフィンは振り返ることもせずにそのまま走り去っていく。
 サフィンの姿は、すぐにその場に残された4人の視界から消えてしまった。
 少しの間、4人はサフィンが走り去った方向を見ていたが、やがてサリサが表情を引き締めて口を開いた。
 「キリト、あたし達も……」
 サリサの言葉に、キリトはゆっくりと首を縦に振る。
 しかし、2人が走り出そうとした、その時。
 突然、上空から黒い光が放たれた。
 4人は一斉に上空を見上げる。
 するとそこには、不気味な黒い光を発する巨大な魔方陣が浮かび上がっていた。
 複雑な紋様を刻んだその魔方陣は、4人の真上辺りの空中で、時折稲妻のような黒い光を放ちながらゆっくりと回転している。
 4人はそれを見て、驚愕に目を見開いた。
 「あ、れは……」
 召喚魔法。
 サリサがそう言おうとした瞬間、魔方陣が一際眩しい黒い光を放ち、その円陣の中心から何か巨大なものが波のようにうねりながら押し寄せてくる。
 よく見るとそれは、無数の、見たこともないような異形の魔物の、群れであった。





 「畜生……!!」
 黒髪をなびかせて疾走しながら、サフィンが呟いた。
 目の前に、いたのに。
 ファーゼイスに捕えられたナナを助けることができなかったという事実が、サフィンを苛立たせる。
 眉間に深い皺を刻みつつ、サフィンはナナの姿を求めてひたすら走った。
 どこに行ったのか見当はつかないが、そう遠くない場所からファーゼイスのものらしき気配を感じる。
 その気配を辿れば、ナナもそこにいる筈なのだが……
 ファーゼイスの気配が大き過ぎて、正確な場所が判らない。
 そのことが、更にサフィンを苛立たせた。
 眉間の皺が、一層深くなる。
 すると、その時。
 近くの岩陰から何者かが飛び出してきた。
 夕焼けのような橙色の髪に、紅い瞳。
 飛び出してきてすぐにサフィンと並走してきたその者に、サフィンは見覚えがあった。
 「ティア……?」
 「よぅ、随分と怖い顔してたな」
 ティアの突然の登場に驚いているサフィンに、ティアは笑みを向けてくる。
 「どうして、ここに……?」
 サフィンが問うと、ティアは苦笑した。
 「まぁ、色々と事情があってね。 聞きたいことは山程あるだろうけど……とりあえず、今はナナを捜すのが先決だろ?」
 ティアの言葉にサフィンは一瞬目を見開くが、すぐさま首を縦に振る。
 2人は正面を向くと、走る速度を上げた。
 「場所の、見当は?」
 視線は正面へと向けたまま、ティアが問い掛けてくる。
 サフィンは僅かに眉を寄せ、やはり視線は正面へと向けたまま答えた。
 「正確な場所が、判らない。 方角くらいしか……」
 「そうか……おい、少し止まれ」
 そう言うと、ティアは足を止める。
 サフィンは怪訝そうな表情を浮かべつつも、ティアの言葉に従った。
 「何を、するんだ?」
 サフィンの問いには答えずに、ティアは、自分の顔の左半分を覆っていた長い前髪を左手で掻き揚げる。
 そうすることで露になったティアの左目を見て、サフィンは驚愕した。
 右の紅とは全く違う、黄金色きんいろの瞳。
 それはまるで、魔物や妖魔達が持つとされる色のようだった。
 ティアはその瞳で、ゆっくりと周囲を見渡す。
 そして、ある一点で視線を止め、目を凝らすようにして細めた。
 「……見つけた」
 そう呟くと、ティアは掻き揚げていた前髪を下ろし、サフィンに一度目配せしてから先ほど視線を向けていた方へと走り出す。
 サフィンは慌ててティアに続き、2人は再び並走した。
 「ティア……さっきの、目は……?」
 走りながら、サフィンが遠慮がちに尋ねてくる。
 ティアは、ああこれ、と自分の左目を指差し、口を開いた。
 「アタシにはね、半分妖魔の血が流れてるんだよ。 そのせいで片方の瞳だけがこんな風になっちまったんだけどね」
 「そう、だったのか……」
 「ああ。 でもこの瞳は、魔力そのものを見ることが出来るんだ。 それでファーゼイスの位置が判ったんだよ」
 ティアはサフィンの方を向いて口元に笑みを浮かべる。
 「ファーゼイスは……ナナはそう遠くない場所にいる。 急ごう」
 「ああ!」
 ティアの言葉に、サフィンは頷く。
 2人は更に走る速度を上げ、ナナの姿を求めて駆けていった。





 上空の魔方陣から溢れ出てきた魔物達を、ノーズは次々と切り裂いていく。
 切り裂かれた魔物達は、地面に崩れ落ちると黒い灰のようなものへと姿を変えた。
 休む間もなく剣を振るいながら、ノーズはちらりと後方を確認する。
 後方数メートルの位置には、両手を左右に広げて魔法の詠唱をしているサリサと、サリサの後ろに背中合わせで立っているシャハラザード。
 そしてサリサとシャハラザードを挟んで反対側には、尋常ではない速さで矢を放ち、一瞬でノーズの倍以上もの魔物を屠っているキリト。
 キリトとノーズは、魔法の詠唱中は無防備なサリサを護る為、左右に散って魔物達を喰い止めているのだ。
 「伏せて!!」
 魔法の詠唱を終えたサリサが叫ぶと、キリトとノーズはすぐさま地へ伏せる。
 直後、サリサの周囲数十メートルに、無数の風の刃が放たれた。
 風の刃に切り刻まれた数百にも及ぶ数の魔物が、一瞬にして黒い灰と化す。
 しかし、すぐさま上空の魔方陣から魔物が溢れ出し、4人の周囲を埋め尽くしていった。
 そのあまりの数の多さに、キリトは思わず舌打ちする。
 魔物一体一体の強さはそれほどでもない。
 しかしそれも、これだけ数が揃うと少し厄介だ。
 次に放つ矢を取ろうと後ろに手を回し、キリトは再び舌打ちする。
 キリトの腰辺りに括り付けてあるホルダーには、もう矢が一本も残っていなかった。
 ホルダーをベルトごと外し、弓と一緒に地面へ置くと、キリトは左足に履いているブーツの上部に取り付けてある小さなポーチを開き、中に入っていたものを取り出す。
 取り出されたのは、刃渡りが20センチ程度のナイフだった。
 キリトはいざという時の為に、身体のあちことに色々な武器を隠し持っている。
 ブーツの、二重になっている革の間に隠されていたこのナイフも、そのひとつだった。
 「接近戦はあんまり得意じゃないんだけどな」
 そうぼやきつつ、キリトは押し寄せてくる魔物の群れへと向かっていき、逆手で持ったナイフで魔物を次々と切り裂いていく。
 そうして十数体目の魔物を仕留めた時、サリサが次の魔法の詠唱を終えたようだった。
 「次、いくわよ!!」
 サリサが叫ぶと、キリトとノーズは再び地に伏せる。
 次の瞬間、サリサの周囲に幾筋もの閃火が放たれた。
 これで、サリサが強力な魔法を放つのも6度目になる。
 まだまだ魔力には余裕があるが、このままの勢いで攻め続けられたら、いずれ魔力は底をついてしまうだろう。
 「ったく、何だってのよ、この魔物は!!」
 サリサが叫んだ、その時。
 上空の魔方陣から溢れ出していた魔物の勢いが止まり、魔方陣がゆっくりと掻き消えていく。
 4人の周囲にはまだ数百もの魔物がいるが、どうやらこれ以上数が増えることは無さそうだった。
 「どうやら私達の足止めが目的だったようだね」
 怪訝そうな表情をしているサリサに、背中合わせで立っていたシャハラザードが言葉を掛ける。
 その言葉を受けて、サリサは大袈裟に肩を竦めてみせた。
 「足止めってレベルじゃないような気もするけどね。 ……まぁ良いわ。 魔法あと一発で片は付きそうだし」
 「じゃあ、私も少し足止めに協力しようかね」
 シャハラザードの発言に、サリサは思わず目を剥いた。
 「……バァさん、戦えるの?」
 「おや、ノーズに剣術を教えたの、一体誰だと思ってるんだい?」
 そう言って、シャハラザードは皺だらけの顔に笑みを作ってみせると、疲労で剣筋が鈍くなってきているノーズの方へと駆け出し、どうやら仕込み杖だったらしき杖から剣を引き抜いて、ノーズに負けずとも劣らない剣技を振るってみせた。
 その姿は、とても先程まで腰を曲げて杖を突いていた老婆とは思えない。
 (……凄いバァさんね)
 そんなことを考えつつ、サリサは次の魔法の詠唱に入る。
 サリサが次に放った魔法で、全ての魔物は黒い灰へと姿を変えた。



 全ての魔物が灰になったのを確認すると、サリサは膝に手を突いて大きく息を吐く。
 すると、その周囲に他の3人が集まってきた。
 「よっ! ようやく片付いたな」
 くるくると器用にナイフを回しながら、キリトが声を掛けてくる。
 「そうね。 あとは……サフィンがうまいことナナを取り戻してくれれば良いんだけど……」
 「まあ、その辺は大丈夫だと思うけどな。 ティアもくっついてったみたいだし」
 「は!? 何でティアが!?」
 サリサは思い切り訝しげな表情をキリトへ向けた。
 「気付かなかった? 俺達が神殿出てから、ずっと後くっついてきてただろ?」
 「じゃあ、ずっとつきまとってた気配は……」
 ティアだったの、というところまでは声には出さずに、サリサはサフィンが走り去っていった方向へと視線を向ける。
 それを見て、キリトもサリサと同じ方向へと視線を向けた。


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