the past 決意−2

 「あの子は、大丈夫かね……」
 質素な室内の、簡素な長方形のテーブルに着いてぽつりと呟いたシャハラザードの言葉に、2人分の食事の準備をしていたノーズが振り返る。
 つい先日まで、この場所には封印術を求めに来たという者達が滞在していた。
 が、今は、その封印術の継承者と弟子の、2人の姿しか無い。
 ノーズは食事の盛り付けられた皿を運びながら、師の言葉に応えた。
 「ナナさんですね。 何か、浮かない顔をしていましたね」
 「あぁ……ファーゼイスに連れて行かれて無事に帰ってきたのは良かったが……一体、何があったのか」
 「そうですね……それは、見当もつきませんが」
 ことり、と、ノーズはシャハラザードの前に皿を置き、自分の席に着いてもう1枚の皿を自分の目の前に置く。
 それから、再び口を開いた。
 「……でもきっと、ナナさんなら大丈夫な気がします」
 「ほう? どうしてそう思うんだい?」
 器用に片方の眉を吊り上げて尋ねてくる師に、ノーズはにこりと笑みを返す。
 「女の勘です」
 ノーズの言葉に、シャハラザードは一瞬目を剥いた。
 赤子の時からずっと、ノーズを育ててきたが……この子は真面目な気質で、このように悪戯めいた笑みや発言をするような子ではなかった。
 いや、或いは至極真面目に発言しているのかもしれないが。
 ともかく、どちらにせよ、そんな些細な変化が師であり親でもあるシャハラザードにとっては大変喜ばしいことであった。
 「女の勘かい」
 「はい」
 シャハラザードは笑みを崩さぬままこちらを見ているノーズを見て、目を細める。
 尤も、顔が皺だらけなせいで目を細めているかどうかは、外見では判断出来ないが。
 「……まぁでも、あんたがそう言うんなら、きっと大丈夫だろう」
 そう言うと、シャハラザードは天井に遮られて見えない空を仰いだ。







 ソフィア、シセルの2人がミルトレイアへ到着してから、遡ること10日。

 ナナ、サフィン、サリサ、キリト、ティアの5人は、アリストラル大陸からタルディアーナ大陸へと渡る航路の途中……船の中にいた。
 シャハラザード達の元を発ってからは、3日程が経過している。
 その間、ナナはずっと何かを考え込んでいるかのような、ぼんやりとした表情をしていた。
 誰が何を聞いても「何でもないよ」と答えるだけで、それ以上は何も言おうとしない。
 本人はそう言うものの、ファーゼイスに連れ去られてから何かがあったということは明白だった。



 割り当てられた船室に備え付けられた丸いテーブルに着いてシャハラザードから受け取った結晶体に手を翳しながら、サリサはちらりとベッドの方へと視線を向ける。
 視線の先、2つあるうちの奥のベッドの上。
 そこには膝立ちになったナナがいて、船室に取り付けられた丸い窓に肘をついてぼんやりと外を眺めている。
 窓ガラスにうっすらと映り込んだ、この3日間ずっと変わらないその表情を見て、サリサはナナには気付かれない程の小さなため息を吐いた。
 何があったのか、きちんと聞き出さなければならないとは思う。
 しかし、その「何か」が、サリサには予想が出来てしまう為に、聞き出すのが少し怖かった。
 もしサリサが予想しているような内容ならば、ナナは恐らく、サリサに事実の確認をしてくるだろう。
 そうしたら、きちんと答えてやらなければならない。
 先代フレイアとの、これは約束だ。
 けれど。
 答えた時、彼女はどのような反応をするだろうか。
 それが事実だと認めた時、彼女はしっかりと敵を見据え、戦うことが出来るのだろうか。
 先代フレイアに対する想いが、変わってしまったりしないだろうか。
 ……そう思うと、怖くなる。
 サリサはもう一度小さく息を吐き出し、結晶体に翳した手に魔力を集中させ始める。
 すると、サリサの手から透明な光が溢れ、結晶体を包み込んだ。
 この、サリサの手元にある結晶体にファーゼイスを封印する為に、一行はミルトレイアへと向かっている。
 だが、ファーゼイスの魔力が結晶体の魔力を上回り、封印することが出来なかったら、この結晶体はその存在の意味を失ってしまう。
 そうならぬよう、サリサは少しづつ結晶体に魔力を込め、結晶体の魔力を強化することに尽力していた。
 サリサが魔力を込め始めてから3日。
 結晶体は、受け取った当初から備えていた高い魔力を更に増し、それに伴い更に透明感のある美しさを見せるようになっていた。
 サリサはゆっくりと結晶体に流し込んでいた魔力の流れを弱めていく。
 すると、魔力が弱まるのに伴って、結晶体を包み込んでいた透明な光も弱まり……やがて、消えた。
 その時。

 「ねぇ、サリサ……聞きたいことが、あるんだけど」

 突然掛けられた声に、サリサは思わずびくりと肩を震わせる。
 声の発せられた方……ナナの方へとサリサが視線を向けると、ナナは未だ窓から外を眺めていた。
 しかし、窓に映り込むその表情は、先程までのぼんやりとしたものではない。
 静かだが、凛としていて……その瞳には、何か強い意思のような決意のような、強い光が宿っていた。
 サリサが結晶体に翳していた手をテーブルへそっと降ろし、身体をナナの方へ向けると、ナナはようやく窓の外の風景から視線を外してサリサの方を向いた。
 ベッドの上に正座し、膝の上に固く握った拳を乗せて。
 「何を、聞きたい?」
 「私とファーゼイスの……レグルスのこととか、私のお父さんのこととか……色々、聞きたい」
 サリサの静かな問いに、ナナはゆっくりと答える。
 やはり、と、サリサは思った。
 何の為にファーゼイスがナナを攫って行ったのかと思っていたけれど。
 真実を告げて、ナナの心を揺さぶる為だったのだ。
 確実に、その身体を自分のものとする為に。

 サリサは僅かに俯き、瞳を閉じる。
 それからきゅっと唇を引き結ぶと、瞳を開いて顔を上げた。
 「……判ったわ。 それについてあたしが知っていることは、全て話してあげる。 けど、その前に……」
 サリサはきっと船室の入り口の扉を睨み付け、再び声を発する。
 「そこのデバガメ3人、入ってきたらどう?」
 声を浴びせられてしばらくは、入り口付近から何の反応も返ってはこなかったが。
 やがて、遠慮がちに扉が開いて、左右からひょっこりとサフィン、キリト、ティアが顔を覗かせた。
 3人は気まずそうな表情やら苦笑やらをその顔に浮かべている。
 その様子に、サリサは「全くもう」と呆れ顔を向け、サリサ同様その存在に気付いていたナナはくすりと小さく笑んだ。

 3人を部屋の中へ入るよう促し、サリサは再びナナの方へと身体を向ける。
 サフィンが手前のベッドに腰掛け、キリトがサリサの隣の席に着き、ティアが腕を組んで壁に寄り掛かり、落ち着いたことを確認すると、サリサはゆっくりと口を開いた。
 「今から話すことは、ナナとサフィンにはよく聞いておいて欲しいことよ。 まずは、ナナとレグルスのことだけど」
 一度息をついてから、サリサは言葉を続ける。
 「ナナとレグルスが兄妹だというのは、本当のことよ」
 「なっ……!?」
 サリサの言葉に、サフィンは思わず驚愕の声を洩らした。
 声こそは出さないが、ティアも、事前にこのことについてサリサから聞いていたキリトも、驚きを隠せない様子だ。
 その中で、ナナだけが、静かにサリサの言葉を聞いていた。
 「兄妹とは言っても、母親は違うの。 レグルスはミルトレイア王国の前王レゴルとその正室との間に産まれた子供。 ナナは、側室ですらない……城に仕えていた侍女との間に産まれた子供、らしいわ」
 世間にはそのことは伏せられていたようだけど、と、サリサは付け足す。
 一瞬、沈黙が流れ、その沈黙をナナが破った。
 「ファーゼイスが言ってたのは本当だったんだね」
 ナナの言葉にサリサは頷き、少し、辛そうな表情を見せる。
 「……ナナ……やっぱり、ファーゼイスにそのことについて言われていたのね。 それに、父親と……レゴルとフレイアのことについても、言われたんでしょう?」
 ナナはこくりと頷いた。
 すると、サフィン、キリト、ティアがサリサの方を見る。
 兄妹だということだけで驚愕に値するというのに、まだ何かあるというのか、と、特にサフィンは不安げな表情だ。
 それに、キリトも。
 ナナとレグルスが兄妹だということについては以前サリサから聞いていたが、レゴルとフレイアについての話は初耳だ。
 問い詰めるような視線を、サリサへと向けている。
 その視線を受けて、サリサは苦笑した。
 「順に、話すわ。 そうすれば、ナナが聞きたいことも……全て、判る筈だから」
 心を落ち着けるかのように、ゆっくりと、息を吐き出してから。
 サリサは静かな声で……だが、しっかりと、言葉を紡ぎ始めた。

 「十数年前。 ナナが産まれて少し経ってからだったらしいわ。 前王レゴルが、おかしくなり始めたのは……」


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